民話を読む~大通寺の天井に住むきつねの伝説~
お花ぎつね
長浜別院大通寺は、江戸時代のはじめ頃には長浜城址にあったという。
様々な事情があり、現在の場所に移転する話がもちあがったが移転派と旧敷地派で意見が対立し、なかなか決着がつかなかった。
そこで、京にある東大願寺の宣如上人(せんにょしょうにん)にご裁可を仰ぐことにし、旧敷地派一行が移転派より一足早く出発した。
ところが野洲川まで来ると、にわかに雲が湧き出て大雨が降り、川が増水して渡れなくなってしまったため、一行はやむなく堤防の一軒茶屋で休息することにした。
この茶屋には可愛らしい娘がいて、親切に世話をしてくれたので一行はゆっくりとくつろいで雨が止むのを待っていた。
娘の名を尋ねると、「お花」だという。
ながはま御坊表参道から見た大通寺の山門
本堂
小雨になり、川止めも解かれたので急いで上京すると、移転派の一行がすでに上人のご裁可を受けて帰ってくるところであった。後から出発したはずであるのに、どうしたことであろうかと不思議に思ったが、すでにご裁可の後であるのでどうすることもできない。
やむなく帰途につき野洲川まで戻ってくると、上京する時に休んだ茶屋が見当たらず、「お花」もいなかった。
さては、移転派に賛同したお花ぎつねの仕業であったのかと、大変憤ったということである。
今も続くお花ぎつねの不思議な話
明治のはじめ頃、大通寺に単身赴任してきたお坊さんがいた。
洗濯をしたある日、下帯だけ後で洗おうと思い縁の下に置いたままにしていたのだが、あくる朝、この下帯が本堂前に持ち出されていて、参詣に来た人々の目に入り大笑いされてしまった。
周囲の人に、赴任してきた時にお土産を「お花はん」に持ってこなかったからだと聞かされたお坊さんは、油揚げを買って大広間の天井へお供えした。
お花ぎつねのオブジェ
すると、それからピタリといたずらが止んだそうである。
大通寺では、今でも大広間に梯子がかけられていて、油揚げをお供えする人が後を絶えないという。
