実際に「歩いて」「走って」集めた『人力』旧街道紹介サイト
気になったら、とことん追求しないと気がすまない性質(たち)なんですよ。
『天下の険』箱根山の中腹に、歴史ある甘酒茶屋と並んで建つ茅葺き屋根の建物、箱根旧街道資料館の吉村さんは語る。
私がここに着任して、だいたい2年半くらいになりますかね。私が来た当初は、子どもたちは入館して5分と経たず出ていっていました。これはいけないと思い、何かできることは無いかと知恵を絞りました。使えるお金は限られている。あれこれ考えましたね。
試行錯誤の末、旧街道や展示品にまつわる話をクイズ形式で問いかけることを思いつきました。各コーナーにクイズを書いたボードを置いて、その場で考えさせる趣向にしてみたのです。答えがすぐ分かっちゃつまらないから、『答えは受付で』とすることで、私のところへ聞きにくるようにしました。
大学では史学を専攻し、中学校の歴史の教師をしていた吉村さんは、そのキャリアと、持ち前の探究心で旧街道について勉強した。質問の回答には妥協無く調べた結果を出すようにしたと言う。
20分は居るようになりましたね。子どもばかりでなく大人たちもクイズの答えを聞いてくるようになりました。そして、「へ~。」「なるほど。」と、知識を得て帰って行かれる。非常に嬉しいことですね。
吉村さんが考えたクイズの一つにこんなものがある。
問.あの暴れん坊将軍徳川吉宗の享保14年(1729)、この旧街道資料館前の石畳を象が通ったのを知っていますか? その後の象の消息は?
東海道を象が通って吉宗の元へ運ばれた。そのこと自体、調べれば簡単に出てきます。もちろん、あの石畳を象が通っていったと言うのですから、それだけでも驚きですが。問題はその後、象がどうなったかということですが ―
回答を求められた私は、「将軍の寵愛を受けて幸せに暮らしたのではないか」と回答したところ、吉村さんは、生き生きとした表情で先を続けた。
徳川吉宗は、好奇心旺盛な一方で、飽きっぽい性格だったようです。最初はもの珍しさで見ていたのが、次第に飽きて、ろくに餌を与えなくなり、ついには民間に払い下げられることになりました。不憫に思った源助という百姓が引き取って世話を続けたのですが、何しろ象は毎日20kg~30kgもの食料を食べる大食漢。そう簡単に餌を調達できるわけが有りません。徐々に象はやせ細り、二十数歳の若さで死んでしまいました。ちなみに、象の寿命は七十年とも言われます。可哀想なことですよね…。
― なるほど。哀れな象の話をひとしきり聞き終えたと思っていた私に、吉村さんはさらに続ける。
この話はまだ終わりではありません。象は荼毘(だび)に付されましたが、あれこれ文献を見ているうちに、牙が一本、東京都の中野にある宝仙寺に眠っていることを突き止めたのです。その真偽を確かめるために実際にそのお寺に何度か足を運んで確認してみましたが、間違いなく存在しているようです。秘宝ということで、残念ながら見せてはもらえませんでしたが…。
「そこまで調べたんですね」という私の問いに対する答えが、冒頭の「気になったら、とことん追求しないと気がすまない性質なんですよ。」につながるのである。
箱根旧街道資料館には、そんな吉村さんが考えた質問が多く用意されている。そのどれもに、『吉村流』の答えがあることだろう。吉村さんは、工夫の余地が許す範囲で、今後もこの資料館を活性化していきたいと語っていた。箱根路を行く際には、是非立ち寄ってもらいたい。知識が増えることは請け合いである。