府中宿ふちゅうしゅく(東京都府中市)

府中宿は、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠38軒で、生糸を扱う商家が軒を連ねていた。
宿並は新宿(宮町)、番場宿(宮西町)、本町の三町で構成されていた。

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大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)
武蔵総社で本殿は寛文7年(1667)の建立。都指定文化財の宝物殿の木造狛犬一対は鎌倉期の運慶作。
神戸の碑(ごうどのひ)
神戸(ごうど)は、現在の宮西町2丁目の一部(旧甲州街道沿い)に集落の中心があった宿場の一部。
この集落は番場宿に属しており、幕末の地誌「新編武蔵風土記稿」には「番場宿」の小名としてその名が見える。神戸はもともと一つの区域だったが、甲州街道の創設(慶安頃1648~52年)によって南北に分れたようである。
称名寺(しょうみょうじ)
飯盛旅籠杉島屋の主や飯盛女の墓がある。
札の辻と問屋場跡(ふだのつじとといやばあと)
甲州街道(道中)と鎌倉街道が鍵の手に交わるところに高札場があったころから、この界隈を「札の辻」「鍵屋の辻」と呼び親しまれていた。
安政6年(1859)府中宿本町に大火があり、それを機に萬延2年(1861)中久本店の店蔵を防火建築物として再建。
隣地は問屋場<江戸時代の宿駅・人馬・駕籠などの継ぎ替え所>であったため、大道芸人の辻芸を楽しむ人々等で賑わい、武蔵府中の中心として栄えた。
府中高札場跡(ふちゅうこうさつばあと)
府中の高札場は、府中市において甲州街道と鎌倉街道の交叉する所、大国魂神社御旅所の柵内にあり、屋根を有する札懸けで、これに六枚ぐらいの高札が掛けられていた。
長福寺(ちょうふくじ)
日限子育地蔵を祀る地蔵堂がある。
高安寺(こうあんじ)
平将門を倒した田原藤太こと藤原秀郷の館跡と言われ、のち足利尊氏によって再建された。
また、見性寺と呼ばれた頃、鎌倉入府を兄源頼朝に拒まれた源義経、弁慶一行が一時留まり、赦免祈願のため大般若経を写したという。その時裏山から清水を汲み取った「弁慶硯の井」が遺蹟としてある。
弁慶坂(べんけいざか)
この坂は、高安寺に伝わる弁慶の伝説に由来し、名がつけられた。
弁慶橋(べんけいはし)
ここに、野川に架かる弁慶橋があった。名は、高安寺に伝わる弁慶の伝説に由来している。
棒屋の坂(ぼうやのさか)
「弁慶坂」向かいの辻にある。「棒屋」と呼ばれる家があったため、そのように呼ばれるようになった。

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前の名所:八幡宿の碑