実際に「歩いて」「走って」集めた『人力』旧街道紹介サイト
甲府宿、正式には『甲府柳町宿』は、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠21軒であった。 今の甲府市外は武田信玄の父信虎が永世16年(1519)に石和から移り、躑躅ケ崎に居館を構えたのに始まる。 天正9年(1581)には韮崎の新府に移り、翌年武田家は滅亡してしまう。信長の死後家康が領し、秀吉の代に築城した。以後この甲府城を中心に発展した「甲府柳町」の名は宿中程にある、柳町に問屋場等の機能が集中していたところからつけられた。
≫石和~甲府柳町を歩く
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甲府宿、正式には『甲府柳町宿』は、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠21軒であった。
今の甲府市外は武田信玄の父信虎が永世16年(1519)に石和から移り、躑躅ケ崎に居館を構えたのに始まる。
天正9年(1581)には韮崎の新府に移り、翌年武田家は滅亡してしまう。信長の死後家康が領し、秀吉の代に築城した。以後この甲府城を中心に発展した「甲府柳町」の名は宿中程にある、柳町に問屋場等の機能が集中していたところからつけられた。
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