犬目宿いぬめしゅく(山梨県上野原市)

正徳3年(1713)宿が構成された。本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠15軒であった。
しかし、昭和45年の大火で宿の6割を焼失してしまう。
「この地極めて高き所にて、房総の海、富士の眺望奇絶たる所」といわれいた。

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犬目の兵助の墓(いぬめのへいすけのはか)
天保4年以来凶作が続き、同7年犬目の竹七と平助が指導し一揆を起こした。この騒動は国中に広がり、鎮圧後竹七は捕らえられ牢死した。
平助は逃げ切り、維新後奈良氏を名乗った。
犬目の兵助生家跡(いぬめのへいすけのせいか)
甲州一揆の首謀者兵助はこのとき40歳で、妻や幼児を残して参加したが、一揆の首謀者は当然死罪になる。家族に類が及ぶのを防ぐための「書置きの事」や、妻への「離縁状」などが、この生家である「水田屋」に残されている。

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犬目宿 犬目の兵助の墓 犬目の兵助生家跡

前の名所:座頭転がし