実際に「歩いて」「走って」集めた『人力』旧街道紹介サイト
京都(みやこ)郡にある苅田(かんだ)は、貝原益軒(かいばらえきけん)が『豊国紀行』の中で「むかし影行天皇が筑紫の国に来られたときに行宮(あんぐう)を建てて住まわれたので京都郡と名づけた」と記している。かつて、菱屋平七は苅田からみた雄大な周防灘をみて「浜辺にて人家六十軒計あり。多くは漁者農夫なり。宿屋少のうして問屋場に本陣を兼ねたる林田五郎左右衛門といふ人の家に泊る。座席広々として縁先より見渡せる周防灘の白浪残る所なく望中にあり。」と記している。
≫小倉~苅田を歩く
≫大橋宿へ行く
京都(みやこ)郡にある苅田(かんだ)は、貝原益軒(かいばらえきけん)が『豊国紀行』の中で「むかし影行天皇が筑紫の国に来られたときに行宮(あんぐう)を建てて住まわれたので京都郡と名づけた」と記している。かつて、菱屋平七は苅田からみた雄大な周防灘をみて「浜辺にて人家六十軒計あり。多くは漁者農夫なり。宿屋少のうして問屋場に本陣を兼ねたる林田五郎左右衛門といふ人の家に泊る。座席広々として縁先より見渡せる周防灘の白浪残る所なく望中にあり。」と記している。
≫小倉~苅田を歩く