船橋宿ふなばししゅく(千葉県市川市)

日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の際、漁民の船を並べて橋渡ししたとの言い伝えからその名が付いたとされる船橋宿は九日市・五日市・海神村の三村によって構成された宿場町。徳川家の東金・佐倉方面の狩猟の際には、船橋御殿で宿泊した。
慶応4年(1868)船橋戦争により宿場の大半が焼失し、宿場についての資料が殆ど残っていない。九日市村の旅籠屋は株組織になっており、寛政11年(1799)には22軒、文化15年(1818)には25軒と増やした。大半は飯盛女を抱え、南側に並走する千葉街道と合間って、宿場の繁栄を裏で支えていた。

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大覚院(だいかくいん)
真言宗豊山派の寺院。海上の安全を祈る寺。弘法大師堂がある。
入日神社(いりひじんじゃ)
祭神は天照大神と日本武尊を祀り、古くから船橋大神宮の元宮と伝えられている。
念仏堂(ねんぶつどう)
本尊は阿弥陀如来。寄木造の彫刻で市の指定文化財。ここは浄勝寺の支配下であった。 成田街道沿にあった道標がここに移されている。市内最古の道標。
地蔵院(じぞういん)
真言宗豊山派の寺院。
日枝神社(ひえだじんじゃ)
神使は神猿とされ、夫婦円満、拓殖繁栄の神とされている。
西向地蔵堂(にしむきじぞうどう)
宿場の出入口に地蔵を立て、疫病や厄災を防ぎ止める、との願いが込められている。 奥に鎮座する西向きの地蔵で右端のは1658年に立った船橋市最古の石仏である。 向かって左側に並んでいるのは、縁結地蔵、とある。
稲荷屋(いなりや)
料亭。慶応元年(1865)創業。明治時代からの名物が鰻の蒲焼。
浄勝寺(じょうしょうじ)
江戸の増上寺の末寺。西光山と号す。天正十九年、徳川家康から十石の寺領を寄進。徳川幕府から朱印地を与えられた寺。右側に新しいお堂があり、中にお地蔵がある。宿の女郎達の供養の為の地蔵。
専修寺(せんしゅうじ)
浄勝寺別院。境内墓地の一角には、船橋宿の名残を伝える貸座敷組合奉納によるお地蔵様が建立されている。
和菓子のひろせ(わがしのひろせ)
正式には、ひろせ直船堂。代々続く老舗和菓子店である。みたらし団子や豆大福が百円前後から買える。街道拡幅のため、現在の歩道分を曳家して下げている。店の奥に飾られている、山岡鉄舟直筆の額が、その歴史の深さを物語る。斜め向かいの森田呉服店も、同程度の歴史を持っており、曳家で現在の位置に至っている。
海老川橋(えびがわばし)
実は、徳川家康の出現までこの海老川橋に橋梁がなかった。昔は川幅がはるかに広く、水量も多かった。日本武尊が東征のさい、漁民の船を並べて橋渡ししたとの言伝えがあり船橋市の由来になっている。また、この川で採れた海老を家康に献上したところ、大層喜んだらしい。ちなみに、泉重千代翁が120歳の時の手形のレリーフがあり、長寿の橋、とも呼ばれている。

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前の名所:龍神社