栗橋宿くりはししゅく(埼玉県北葛飾郡栗橋町)
- 焙烙地蔵(ほうろくじぞう)
- 昔処刑場があった地で、関所破りで火焙りの刑に処された人を哀れんで作られたと伝えられ、今でも焙烙が奉納されている。線香の灰が「えぼ」に効くことから「えぼ地蔵」とも呼ばれる。
- 浄信寺(じょうしんじ)
- 永正二年(一五〇五)以前に開山した寺で、その後一五六九年頃日譽源貞上人が再興した。毎年四月には”呑龍上人祭礼”が行われている。これは、貧しい子供を手厚く保護したことから「子育て呑龍」と呼ばれ民衆から尊敬された”呑龍上人”を浄信寺で大正時代から祀っていることから始まったようである。栗橋八福神の一つで、浄信寺の福神は寿老人(長寿延命・除難)である。
- 顕正寺(けんせいじ)
- 栗橋町の開発者で栗橋町指定文化財の池田鴨之介の墓がある。この寺院に安置されている阿弥陀如来像は聖徳太子作と伝えられる。
- 深廣寺(じんこうじ)
- 深廣寺は、無涯山単信院と称し、元和元年(一六一五)深蓮運社廣誉上人無涯閑栄和尚(慶安二年五月四日寂)によって開かれた。門を入ると三百年を経た松の大木があり、その下に21基の六角名号塔が建っている。六角名号塔は、二代垂蓮社性誉上人単信圓説大和尚によって建てられたものである。単信上人は念仏一行の実践躬行型の人であったようにしのばれ、日夜遠近を托鉢し、喜された浄財は貧者病者に施し、ひたすら争教化に努めた。一基の高さ約365センチメートル、承応元年(一六五二)から明暦三年(一六五七)の問に建てられたもので、材料は伊豆石を以って造られている。
- 池田屋本陣跡(いけだやほんじんあと)
- 栗橋宿の開祖池田鴨之助は、元和から寛永にかけて日光道中の栗橋宿として整備し、本陣役を務め、幕末まで続いた。明治に入っても戸長や町長をつとめたり、明治天皇の行幸時には御小休所にもなっている。
- 八坂神社(やさかじんじゃ)
- ご神体は素盞雄命(すさのおのみこと)で7月15、16日の夏祭りの御輿は100人でかつぐという大きなもので、関東の3大御輿といわれており、町の自慢の一つである。歴史的にもいわれのある神社で、社殿も相当古い。
- 関所跡碑(せきしょあとひ)
- この宿には東海道の箱根、中山道の碓氷と並んで三大関所の一つと呼ばれた関所があり、通りから少し入った場所にその跡碑がありここは房川渡中田関所と呼ばれていた。
≫中田宿へ行く
利根川の渡し場として賑わい、関東平野北辺に対する警備上の地として関所が設けられた重要な地であった。慶長年間、池田鴨之助、並木五郎平らの願いで新しい宿を開き始め、利根川の対岸を元栗橋といい、こちらを新栗橋という。元和二年(一六一六)栗橋宿となる。義経の愛妾静御前の終焉の地ともいわれ、墓もある。また、八坂神社の前を横切っていったところに関所番士屋敷跡、池田本陣跡、関所跡は栗橋宿になくてはならない名所である。
≫幸手~栗橋を歩く