草加宿そうかしゅく(埼玉県草加市)

慶長11年(1606)、当時の日光街道は、千住と越谷の間は沼地が多く、大きな迂回を余儀なくされていた。そこで、大川図書という人物が、村民と共に、茅野を開き沼を埋め立て、まっすぐにする新道を開いたといわれている。このとき、沼地の造成で多くの草が用いられたことから、草加と呼ばれるようになった。その後宿場が設置されたが、城下町を除くと、千住、越谷、幸手に次ぐ規模にまで賑わいを見せたという。
名物に草加せんべいがあり、現在も数多くのせんべい屋を楽しむことができる。かおり風景100選にも選ばれている。

≫千住~草加を歩く

東福寺(とうふくじ)
草加宿の祖、大川図書(ずしょ)が創建した寺で、境内の墓地には図書の墓もある。山門、本堂外陣欄間、鐘楼はいずれも、市指定の文化財である。草加八景のひとつに選定されている。
神明神社(しんめいじんじゃ)
草加宿の総鎮守。五と十の付く日に市が開かれ、大変な賑わいだったと言う。また幕末には、宿の子を対象とした寺子屋が開かれていた。また、当時の鳥居の沓掛には、浅間神社と同様、高低測量几号(きごう)が刻まれている。
おせん公園(おせんこうえん)
草加せんべいの生みの親と言われるおせんの名にちなんだ公園。
~草加せんべいの伝説~
草加の茶屋のおせんがつくる団子は、旅人に評判だった。それまで売れ残った団子は川に捨てていたのだが、ある日それを見た武者修行の侍が「団子を捨てるとはもったいない。その団子をつぶして天日で乾かして焼餅として売ってはどうか」と教えた。早速作って売り出したところ大評判になり、日光街道の名物になったという。
札場河岸(ふだばがし)
河岸とは、船の積み下ろし場のこと。 ここはもともと野口甚左衛門の私河岸だったのだが、安政の大地震により移転したことから、利用されるようになった場所で、野口甚左衛門家の屋号が札場だったことから、いつしかこの名で呼ばれるようになった。綾瀬(あやせ)川は江戸中期頃から、多くの船が行き交ったという。現在は、公園として整備されている。

≫越ヶ谷宿へ行く

草加宿 東福寺 神明神社の入口 草加せんべい発祥の地碑 札場河岸公園

前の名所:火あぶり地蔵尊