境の明神(玉津島神社)さかいのみょうじん(たまつしまじんじゃ)

玉津島神社とよばれ、奥羽側の住吉神社と並立している。
創立は古く、天喜元年(1053年)4月14日に、紀州和歌浦の玉津島神社の分霊勧請と伝えられる。
起源は峠神として生まれ、奥州街道が開かれると交通の発達とともに発展したが、明治に入り新国道や鉄道の開通によって衰退したものとみられる。
ことに明治39年12月の火災により類焼し、昔日の面影を失ってしまったが、旧東山道沿いの「追分の明神」とともに、道中安全の神として古い歴史をしのばせる貴重な史跡である。

玉津島明神と住吉明神

玉津島明神(女神・衣通姫)と住吉明神(男神・中筒男命)は、国境の神・和歌の神として知られ、女神は内(国を守る)、男神は外(外敵を防ぐ)という信仰に基づき祀られている。このため、陸奥・下野ともに自らの側を「玉津島を祀る」とし、反対側の明神を「住吉明神を祀る」としている。

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境の明神(玉津島神社)
境の明神(玉津島神社)

前の名所:瓢石