喜連川宿きつれがわしゅく(栃木県さくら市)
- 龍光寺(りゅうこうじ)
- この寺の創建年代については不詳であるが、足利尊氏の開基により創建されたと伝えられる。当初は寺号を東勝寺と号し、尊氏とその弟直義が全国に設置した安国寺利生塔のうち下野国における安国寺に指定されたという。戦国時代、喜連川城に入った足利頼氏は、豊臣秀吉の軍勢によって焼失したこの寺を再興し、父頼純の法号から龍光院と改めた。以後喜連川氏の帰依を得て江戸時代にはその菩提寺となっていた。第二次大戦後の1953年(昭和28年)寺号が現在の龍光寺と改められた。
- 喜連川神社(きつれがわじんじゃ)
- 夏祭りは、あばれ神輿の名で知られている。喜連川ほか15郷の総鎮守と言われた。
- 専念寺(せんねんじ)
- 県指定文化財の「鉄造阿弥陀如来」像が安置されている。
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天下人となった徳川家康は、武家の名門である足利家の流れをくむ喜連川足利家(国明の次代頼氏から喜連川氏に改姓)を重視し、喜連川藩を創設したうえで四千五百石(後に五千石)に加増、さらに十万石の大名家の格式である左馬頭を名乗ることを認めた。その上、参勤交代を免除、藩主の正室も喜連川に住むことを認めた。これは、武家の名門である足利氏を優遇し主従関係ではなく、同格の客分扱いとすることで徳川氏の権威付けに利用する意図があったものと考えられる。 そのため、諸国の大名が参勤交代の際に喜連川を通過する際にも、この地の住民は土下座をする必要がなかったり、街道筋の住民に課されていた助郷の一部を免除されたり等、当時の街道筋の他の宿場町とは様相が異なる特殊な宿場町であった。
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