万場宿まんばしゅく(愛知県海部郡)
- 秋葉神社(あきばじんじゃ)
- 秋葉神社は以前、100mほど南の万場宿の東端にあった。その下には渡し場もあった。左の石の常夜燈は宿にあったものと思われ、天保13年(1842年)、右の木の火袋が乗ったものは万場ノ渡しの秋葉山常夜燈で安永6年(1777年)の年号がある。側には明治13年に架橋された欄干石、銘は明治31年となっている。
- 覚王寺(かくおうじ)
- 境内を入って右手の背の高い石柱に『ち丶の観音医王山覚王院』、その側に『奉納・千手観音菩薩』の赤い幟がはためいている。ここの観音様のお告げで、境内にある乳の木の実を食べたら、乳の出が良くなったという言い伝えがある。
- 国玉神社(くにたまじんじゃ)
- 創建は古く「尾張誌」によれば、尾張大国霊神社(現在の稲沢市国府宮)より勧請したという。「延喜式神名帳」に国玉神社、「本国神名帳」には従二位国玉名神と記載されている式内社である。明治元年(1868年)八剣社を合祀。祭神は大物主大神、天照大御神、草薙剣御霊、日本武尊。神社の前の道は佐屋街道(東海道の脇往還)で、南西曲がり角は万場宿の高札場となっていた。
- 光圓寺(こうえんじ)
- 山門に『臥龍山』の額が掛かっている。この山門は織田信長と斉藤道三が会見した富田村聖徳寺(尾西市)の山門を移築したものと言われている。山門の前に大きな石灯籠がある。
- 浅間神社(あさまじんじゃ)
- 峰富士山に対する信仰は、富士講の講徒が富士塚を造り始めた時(1779年)より、遥かのいにしえからある。貞観6年(864年)の富士山噴火の頃には、すでに浅間神社があったと言われている。その後、富士山の霊験を願って各地に浅間神社が勧請された。全国には500以上ある。
≫神守宿へ行く
万場宿は、佐屋街道「万場ノ渡」をはさみ、岩塚宿(中村区)と向かいあって、寛永11年(1634年)御伝馬所に指定され宿場が置かれた。この両宿場は近距離にあったため、制度上は1宿と見なされ、月の上半月を万場宿が、下半月を岩塚宿が交代で人馬継立の役務を行った。明治5年(1872年)御伝馬所は廃止された。
≫岩塚~万場を歩く