神守宿かもりしゅく(愛知県津島市)
- 養源寺(ようげんじ)
- 鐘楼、奥に山門、六角堂、本堂がある。中でも左手の経蔵は、漆喰塗籠(しっくいぬりごめ)の六角堂で、唐破風の下に金の彫刻を施している。
- 憶感神社(おっかんじんじゃ)
- 創建年代などは明らかではないが、『日本文徳天皇実録』の仁寿3年(853年)の記事に「憶感神」の記述が残り、『延喜式神名帳』にも記載されている古社である。以前は北神守村内にあったが、正保4年(1647年)の佐屋街道の神守宿開設に伴う集落移転によって、慶安元年(1648年)に現在の地に移った。祭神は於箇美(おかみ)神で、この神は雨を降らせる龍神という。この神社は「おかみのじんじゃ」とも言われていた。
- 吉祥寺(きっしょうじ)
- 憶感山吉祥寺(眞言宗)は、憶感神社の別当といい、江戸期は社僧が奉仕したという。境内の延命地蔵は、神守宿場時代、宝暦8年(1758年)に当寺に祀られ、文政3年(1820年)には檀徒及び村人の厚い信仰により六角堂が建立され、ここに祀られた。
- 神守の宿場跡(かもりのしゅくばあと)
- 江戸時代東海道の宮(熱田)の宿場から、桑名(三重県)の宿場への「七里の渡し」にかわる脇街道として佐屋街道が利用されていた。万場(名古屋市)の宿と佐屋の宿との間があまりにも長かったため、正保4年(1647年)に「神守の宿」が定められた。この宿場は古い憶感神社を中心に宿屋・商家が立ち並び、近くの村々の手助けによって宿駅の仕事を果たしていた。
- 穂歳神社(ほうとしじんじゃ)
- 穂歳神社は日本武尊の妾腹の子を祀った神ともいわれている。また、「尾張津島秋まつり」のうち神守の山車は文化年間(1804~1818年)に始まったと伝えられ、憶感神社および穂歳神社を中心に、古くは大豊作の年や、特別な奉祝行事の年に限り、旧暦8月16日に奉納されていた。
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万場(名古屋市)の宿と佐屋の宿との間が長かったため、正保4年(1647年)に「神守の宿」が定められた。この宿場は憶感(おっかん)神社を中心に宿屋・商家が立ち並び、宿駅の役目を果たしてきた。
≫万場~神守を歩く