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江戸から数えて三十七番目の宿場町となる藤川宿。
本宿の一里塚を過ぎ、本宿町沢渡交差点から国道1号へ左から合流し、しばらく進むと右側の側道に入る。
国道の側道(旧舞木村)を通り、舞木町西の交差点から再び国道1号に合流する。
国道1号を進むと市場町交差点を数10M進むと山綱川を越える高架に差し掛かる。高架手前より左側に入れる側道があり、旧東海道は側道へと進んでいく。側道の入り口には、木でできた藤川宿といった案内板がある。(草に埋もれかかっており非常にわかりにくい。)
側道を50Mほど進むと、宿場の入り口を示す東棒鼻がある。
宿場の入り口は、江戸時代当時の入り口を再現したモニュメントがある。
宿場を進むとまずは常夜燈が目に入る。
常夜燈を越えさらに進むと、左手に高札場の跡がある。(人形処の正面)
その後、右手に問屋場跡(小林商店の左隣)、少し進むと旅籠つる屋(面影なし)と続く。
さらに進むと、右手に本陣跡(現在は藤川宿資料館)、脇本陣跡と続く。
(案内板と歌川広重の藤川宿の絵のパネルあり。)
本陣跡の敷地内には石碑がある。脇本陣は現在も当時の面影を残している。
脇本陣横の路地を下ると本陣の裏手に回ることができ、本陣の石垣を見ることができる。
石垣以外の本陣の面影が無いのが残念である。
藤川宿は、史跡はあまり多くないが、当時の雰囲気を十分に感じることができる宿場町である。
国道から1本入った側道になるため、車通りも少なく無料の駐車場もあるのでぜひ散策してほしい。
脇本陣を後にし、400M程進むと右手に藤川小学校があり、正門前が西棒鼻のとなる。
東の入口と同様、モニュメントが設置されている。
モニュメントの隣には、松尾芭蕉の句碑がある。
ここより数メートル進むと藤川の一里塚跡があり、このあたりが藤川宿の西の入口となる。
藤川宿を離れ、城下町として栄えた岡崎宿へと歩みを進める。
さて、岡崎宿とはどんな風景なのだろうか。
藤川宿は、江戸から数えての三十八番目の宿場である。
1843年(天保14)の記録によると、家並みの長さ約1キロ、戸数302戸、本陣と脇本陣各1軒、旅籠屋(はたごや)36軒、宿内人数1,213人であったといわれる。
本陣跡は、現在藤川宿資料館となっており、藤川宿に関する資料が閲覧できる。
≫赤坂~藤川を歩く