実際に「歩いて」「走って」集めた『人力』旧街道紹介サイト
八町通5丁目交差点、路面電車東八町駅付近の歩道橋下に吉田城東惣門跡がある。
この東総門跡の先からが東海道三十四番目の宿場、吉田宿となる。
東惣門跡の斜向かいには秋葉山常夜灯が残っている。
幹線道路沿いということもあり、当時の面影は感じ辛いが、国道から1本脇にそれた旧東海道は真っすぐ通っており、その姿にやや当時を偲ぶことができる。
吉田宿は、本陣が2軒、脇本陣が1軒、旅籠は65軒の宿場町で、約7000人の人が住んでいた。
吉田城城下ということもあってか、ややジグザグに入り組んだ宿場通りとなっている。
このややジグザグした通りを抜けると本陣跡がある。(現在はNTT西日本のビルが建つ)
現在の吉田宿には古い建造はほぼ残っておらず、問屋場や本陣の跡には石碑や案内板が建っているといった状態で、当時の面影はあまり感じられない。
宿場町をしばらく西へ進んで行くと吉田宿の碑と曲尺手門跡の碑がある。
吉田宿を後にし、豊川を越えるとビル街の景色は一転、平屋が並ぶ風景へと変わる。
さて、御油宿とはどんな風景なのだろうか。
永正2年(1505)に牧野氏が城を築いて以来の城下町として栄えた。
本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠65軒の大きな宿場だった。また、「吉田通れば二階から招く、しかも鹿の子の振り袖が」といわれ、飯盛女の数も多い宿場として知られていた。
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