実際に「歩いて」「走って」集めた『人力』旧街道紹介サイト
国道1号線を西に進むと「二川ガード南」という交差点がある。
ここを右に折れるのが、江戸時代から続く東海道である。
梅田川を渡り、道なりに進み東海道本線の踏切を渡るとほどなく東海道三十三番目の宿場、二川宿となる。
見付跡など宿場口を示す建造物は残っていないものの、まっすぐに伸びる旧街道と街道沿いの軒の並びに往時を偲ぶことができる。
二川宿に入ってすぐ右手に川口屋という宿場町の案内所がある。
ここには地域のイベントに関するパンフレットや二川宿についての案内図などが配布されている。また、往時の写真なども展示されているので、二川宿に入るとまず立ち寄ってみると良い。
なお、二川一里塚跡はこの川口屋の入口横にある。
川口屋を過ぎしばらく西に歩みを進めると、右手に東駒屋が現れる。
東駒屋は現在も味噌、醤油を販売している。
そのためか、東駒屋の表はほんのり味噌や醤油の香が漂っている。
また、隣接する駒屋は、江戸末期に建造された建物であり、豊橋市の有形文化財に指定されている。この駒屋の脇には二川宿を南北につなぐ古道(瀬古道)がある。非常に趣のある古道で時間の流れが止まったような錯覚すら覚える。
さらに西に歩みを進めていくと左手に二川宿本陣跡が見える。
街道沿いに建つ非常に立派な建造である。
また、この本陣の隣には「清明屋」という立派な旅籠屋がある。
両建造とも現在は、二川宿本陣資料館となっており、往時の宿泊者が帳場に腰を掛けたり、草鞋(わらじ)を履いている姿などが復元されているのが街道沿いから見ることができる。
この二川宿本陣資料館の敷地内には高札場も復元されている。
二川宿も終盤に差し掛かり、西の入口に進むにつれ往時の雰囲気は薄くなっていくが、西の入口付近には大岩神明宮という大岩町の氏神となる神社がある。
大岩町郷蔵跡(交番のある交差点)から右を見ると非常に立派な鳥居と社を見ることができる。
二川宿を出てすぐに火打坂という交差点がある。(実際に坂となっている)
現代は車などで意にも介さず通過できるが、当時の東海道は今ほど整備もされてなく明け方、夕暮れなどは少し寂しい雰囲気だったのだろうか、などと考えながら次の宿場、吉田宿へと更に歩みを進める。
さて、吉田宿とはどんな風景なのだろうか。
二川宿は、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠38軒、長さ約1.3kmと比較的小さい宿場町であった。 日本橋より西に約283kmに位置し、東の白須賀宿とは約5.8km、西の吉田宿とは約6.1km離れている。 二川宿の本陣は幾度となく大火に遭っており、そのたびに再建されてきた。 本陣の一部は取り壊されずに現在まで残っており、1988年に改修・復元が行われ、二川宿本陣資料館として見学することができる。 なお、本陣一帯は豊橋市の史跡として指定されている。
≫白須賀~二川を歩く