民話を読む~会津の水にまつわる伝説~

幽霊清水

昔、鶴ヶ城下に禄高400石取りの志賀新七という侍が住んでいた。

ある夜更け、新七が出先から自分の屋敷に帰る途中、ふいに後ろから女に呼び止められた。振り返ると、赤ん坊を抱いた髪の乱れた女が、ゆらゆらとしながら闇に浮かぶように立っている。

さては近頃噂に聞く幽霊かと思っていると、その女はお願いしたいことがあるという。
「私はある屋敷に奉公しておりましたが、その家の主人の子どもを産んだばかりに奥方に殺されてしまいました。この恨みを晴らすまで、どうしてもあの世へ行くことができません。しかし、お屋敷にはお札が貼ってあってどうしても入ることができないのです。どうか、そのお札をはがしていただけないでしょうか」

哀れに思った新七は、

「よし、それでは私がそのお札をはがしてやろう」

と、女の言う屋敷まで出向き、門に貼ってあったお札をはがしてやった。
女が屋敷に入ってしばらくすると、中から女性の悲鳴が聞こえてきた。やがて、全身血だらけの女が、自分を殺した奥方の首をくわえて門から出てきた。
「これで恨みを晴らすことができました。安心してあの世へ旅立つことができます。御礼に、何かお望みのものを差し上げましょう」

と女が言うので、新七は、
「それでは、良い清水がほしい。私の家では、良い飲み水がなくて困っているのだ」
と答えた。

いつの間にかあたりには霧が立ちこめていて、気がつくと幽霊は霧とともに消えていなくなってしまった。

翌朝、新七が目を覚ますと、庭先に見慣れない捨て石がある。不思議に思って石をのけてみると、なんとそこからこんこんと清らかな水が湧き出てきたのである。

そして、どんな日照りの時でも枯れることなく、清水が湧き続けたということである。

解説

会津は四方を山々に囲まれ、豊富な伏流水が流れ込んで、城下では古くから清水が湧き出ている場所が何箇所もあった。そういった水脈に恵まれていることから、多くの老舗蔵元が多いこともうなずける。ただ、城下すべてが良い水だったわけではなかったようで、 大町あたりの住人は水屋敷まで水を汲みに行ったという。

新七の屋敷は、五ノ丁通りという、現在の会津若松市役所前の道沿いにあった。鶴ヶ城から北に向かい、東西に走る道を一ノ丁、二ノ丁、三ノ丁・・・と順に呼んだ。当時の道幅は約20mと今よりも広かったそうだ。昔の絵地図には、幽霊清水との記載が残っていて、実際に水も湧き出ていたようだが、残念ながら今その面影はない。

新七と女の幽霊が出会った興徳寺(会津若松市栄町)は、戦中、戦後にかけての神明通りの開通や繁華街の開発により規模がかなり縮小されたが、かつては伽藍の立ち並ぶ大きなお寺であった。境内も広く、北裏は外堀となっていて、幽霊がでるという噂が立つのも不思議ではない雰囲気であったことだろう。

水が豊かな場所ゆえに生まれた、会津の伝説である。

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