見どころ~激動の歴史を乗り越えて~

鶴ヶ城

現在の鶴ヶ城の天守閣は、昭和44年に復元されたものだ。
幕末期、徳川幕府の筆頭親藩として矢面に立った会津藩は、西軍側との激しい戦いを繰り広げ、鶴ヶ城に1ヵ月間籠城した末、涙を飲んで城を明け渡した。
傷き荒れ果てた鶴ヶ城は、明治政府の命令により明治7年(1874年)に取り壊されたが、市民たちの強い願いによって復元されたのである。

鶴ヶ城天守閣

2011年3月に甦った、赤瓦の鶴ヶ城・天守閣
赤瓦は寒さに強くヒビ割れしにくいという

これまで天守閣の屋根瓦は、江戸時代初期をイメージした黒い瓦であったが、出土品などの研究が進み、幕末期には鉄分を含んだ赤褐色の釉薬(ゆうやく:うわぐすりのこと)を施した赤瓦であったことが判明したため、2011年3月に赤瓦に葺き替えられた。
全国で唯一の現存する赤瓦の天守閣である。幕末往時の美しい城に甦った鶴ヶ城は、見逃せないだろう。

■住所 福島県会津若松市追手町1-1
■電話番号0242-27-4005(会津若松市観光公社)
■開館時間 8:30~17:00(入館は16:30まで)
■休館日 無休
入館料等、詳細はHPをご覧ください。
入館料等、詳細はHPをご覧ください http://www.tsurugajo.com/

御薬園(おやくえん)

この庭園は、会津地方の豪族であった葦名氏の別荘として始まったといわれている。
江戸時代に入り、会津藩2代藩主・保科正経(まさつね)が園内に薬草栽培を始め、3代藩主・松平正容(まさかた)が朝鮮人参を試植し、これを民間に広く奨励したことから、「御薬園」と呼ぶようになった。

現在の庭園は、元禄9年(1696年)小堀遠州の流れを汲む目黒浄定(めぐろじょうてい)によって改修されたもので、昭和7年(1932年)に文部省から国指定名勝とされた。

御薬園は、戊辰戦争後、鶴ヶ城とともに明治政府に没収されたが、会津の豪商たちが中心となり、領内から広く寄付金を集めて買い戻し、松平容保(会津藩最後の藩主)にそっくり献納したという逸話が残っている。

御茶屋御殿

戊辰戦争では西軍の診療所として使われた御茶屋御殿

御薬園の池

池は「心」の字の形を表している

■住所 福島県会津若松市花春町8-1
■電話番号 0242-27-2472
■開園時間 8:30~16:30
■休園日 無休
■入園料 大人¥310、高校生¥260、小・中学生¥150
詳細はHPをご覧ください http://www.tsurugajo.com/oyakuen/index.htm

旧滝沢本陣

旧白河街道沿いにある滝沢本陣は、寛文年間(1661~1673年)に設けられ、歴代会津藩主が領内の巡視や参勤交代の際の休息所として使用した。

主屋は江戸初期の1678年に建てられていて非常に古く、19世紀初めに建て替えられた本陣座敷とともに、国の重要文化財に指定されている。

戊辰戦争時では、藩主松平容保自ら前線激励のため出陣し、ここを陣屋として構えた。現在も座敷には当時の弾痕や刀傷が残っていて、戦の激しさを伝えている。

旧滝沢本陣

座敷

戊辰戦争の弾痕や刀傷が今も残る座敷

■住所 福島県会津若松市一箕町滝沢122
■電話番号 0242-22-8525
■開館時間 8:00~18:00
■休館日 年中無休(冬期期間は要予約)
■拝観料 一般¥300、高校生¥250、中学生¥150、中学生以下¥100

飯盛山(白虎隊士のお墓)

白虎隊といえば、戊辰戦争(特に会津戦争)の悲劇の象徴として欠かすことができない存在だろう。
白虎隊は会津藩士の16~17歳の子息によって組織され、本来は予備兵力であった。このお墓に眠る少年達は、白虎士中二番隊で、もともと藩主・松平容保(かたもり)の近衛兵だったが、厳しい戦局となり、援軍として出兵したのである。

敵の大軍と戦い、何とか飯盛山まで退却したが、城下が燃え盛っているのを城が陥ちたのだと勘違いした少年たちは、敵に捕まって辱めを受けるくらいならば、と全員で話し合い、その結果自刃したのであった。

自刃した20名のうち、ただ1人一命を取り留めた飯沼定吉は、晩年になって白虎隊の最期について語り、その様子を後世に伝えた。飯沼定吉の髪と歯を納めた墓も、少年たちのすぐ近くに建てられている。

白虎隊士のお墓1

白虎隊士のお墓2

■住所 福島県会津若松市一箕町八幡弁天下
■電話番号 0242-24-3000(会津若松観光物産協会)
鶴ヶ城

ほころび始めた桜と赤瓦の鶴ヶ城

戸ノ口堰洞穴

白虎隊の少年たちが通ったという戸ノ口堰洞穴

東北の春

東北の遅い春がやってきた

白虎隊士の像

鶴ヶ城を眺める白虎隊士の像

近藤勇の墓

新撰組の土方歳三が建てたという近藤勇の墓