民話を読む~平安の色男 在原業平伝説~

業平井戸の伝説

平安の頃、貴族で歌人であった在原業平は、“体貌閑麗、放縦不拘(容姿が麗しく、気ままでこだわりがない)”と史書「日本三代実録」にあるほど、世に聞こえた美丈夫であったという。
その業平がまだ若い頃、河内の国高安に足しげく通う姫がいた。
業平は住まいのある奈良県天理市から河内へ通う道すがら、井戸の水鏡に自分の姿を映し身だしなみを整えたという。

「ここは並松(なんまつ)業平さまが姿井戸とはこのことか」

という唄も詠われている。

また、もう一つ別の伝説がある。
業平が河内の国高安の女のもとへ通っていたときのこと。
業平は笛吹きの松のところで合図の笛を吹いて女を待ったが、なかなか出てこない。そこでそっと女の家を覗いて見ると、食事の最中で、女が父親の給仕をしながらお櫃の残りご飯をしゃもじですくって食べているのを見てしまった。大変高貴な家に生まれ育った業平は、女に興ざめして声をかけずに女の家から立ち去ったしまった。

業平(イメージ)

それに気がついた女が慌てて業平を追いかけてきたので、業平はヨモミの木に登って逃げ隠れた。
業平の姿を道から見失った女が傍にあった井戸をのぞくと、木に登った業平の姿が井戸に映りこんでいたのだが、業平本人だと勘違いした女は井戸に身を投げて死んでしまったという。
平安の美男子ならではのエピソードである。

龍田神社の鶏の話

神功(じんぐう)皇后が三韓(古代の朝鮮半島)征伐のとき、暗がり峠で朝一番に鳴く鶏の声を合図に出発していた。ところがある日鶏が寝坊して出兵が遅れてしまったので、大変怒った皇后は鶏を生駒川に捨ててしまった。
それを、下流の龍田川のほとりの龍田大明神が拾って飼い、鶏は龍田神社のお使いになった。

それから、生駒地方では鶏を食べても飼わなくなり、龍田では鶏を飼っても食べなくなったという。

鶏の像

手水鉢に龍田神社のお使い「鶏の像」

神社の裏山にある御坊(廟)山は、聖徳太子の一族の墓であるとわれ、毎年元旦には金の鳥が鳴くという言い伝えも残っている。