民話を読む~つぼ湯で甦る 小栗判官伝説~

悲劇を引き起こす、小栗と照手姫の出会い

京の公家、二条家は名門の家ながら跡継ぎに恵まれなかった。両親は鞍馬寺に参詣し、子宝祈願をしたところ、見事男児を授かり「小栗」と名づけた。

鞍馬寺の毘沙門天の申し子として、大切に育てられ小栗は成長する。両親は妻を娶らせようとしたが、小栗は何かと理由をつけては妻を返してしまい、その数は72人にものぼったという。ところが、深泥池(みぞろがいけ)の大蛇が美女に化けると、小栗は気に入って大蛇と契ってしまった。

やがて、その風聞は都中に広まってしまい、父の怒りに触れた小栗は、常陸の国へ追放されてしまう。

ある日、小栗は絶世の美女、照手姫の話を聞くと興味を覚え、恋文を照手姫に送った。すると照手姫からも返事が届き、舞い上がった小栗は家来を従えて館に押しかけ、照手姫と結婚をしてしまった。

これに怒った照手姫の父・横山殿は、様々な手を使い小栗を殺害しようと企てる。しかし賢く、屈強な若者である小栗は、なかなか罠に落ちない。ついに横山殿は、酒宴の席で酒に毒を盛り、家来もろとも小栗を毒殺してしまった。

横山殿は、息子たちに「姫だけ生かしておくのは聞こえが悪い」と、照手姫も淵に沈めて殺してくるよう命じたが、哀れに思った息子たちは、照手姫を乗せた輿の沈め石を切り、そのまま川へ流した。

照手姫は相模国へ流れ着き、人から人へ売られ、ついに辿りついた先は遊女宿であった。小栗との貞節を守り遊女となることを拒んだ照手姫は、「常陸小萩」と名のり、下働きとして過酷な労働に身を置かねばならなかった。

餓鬼としてこの世に甦る小栗

一方、死んだ小栗は閻魔大王の裁きによって、

「この者を熊野の湯に入れてたもれ。浄土より薬の湯をおくらむ」

と書かれた札を胸に、墓より這い出ることができた。しかしその姿は、髪は抜け落ち、体は痩せこけているが腹だけ異様にふくらみ、顔の崩れた餓鬼であった。また、目も見えず耳も聞こえず、口も利けず、歩くこともできなかった。

そんな小栗を、藤沢(神奈川県)の遊行寺の上人が見つけると、「餓鬼阿弥(がきあみ)」と名づけ、札に

「この者を一引きすれば千僧供養、二引きすれば万僧供養」

と書き添えて土車に乗せ、東海道より熊野へ向かわせた。道出会った人々の信仰心によって、小栗は箱根、掛川、名古屋まで引かれてきたが、美濃国まで来ると引き手がつかず、ついに遊女宿の軒下に捨てられてしまった。

なんの巡り合わせか、美濃国の遊女宿で働いていた照手姫。ところが、照手姫は餓鬼阿弥が小栗だとは気づかない。しかし、こんな姿でもせめて生きていて欲しかったと思った照手姫は、せめてもの供養に、わずかな休暇をもらって土車を引いた。青墓(大垣)から関寺(大津)まで土車を引いた照手姫は、

「関寺まで引いたは青墓の水仕女、熊野の湯で病が癒えたら常陸小萩を訪ねてください」

と餓鬼阿弥の胸札に書き添えて帰っていった。

苦しむすべての人々を救う熊野信仰

さらに多くの人々の善意で土車を引かれた小栗は、山が険しくなると山伏たちに拾われ、籠で背負われて湯の峰までたどり着くことができた。

効能豊かなつぼ湯につかると、7日目には目が開き、14日で耳が聞こえ、21日で口が利けるようになった。
そして49日経つと、もとの偉丈夫の小栗に蘇ることができたのである。

まるで夢から醒めたような小栗。小栗はそこから熊野三山に詣で、熊野権現から金剛杖を授かった。都に戻ると、父母の勘当の許しを請い、さらに帝から美濃国を拝領して国守となった。

そして、照手姫の働く遊女宿を探すと、「常陸小萩」を呼び酌をさせた。みすぼらしい姿の照手姫は、立派な姿の国守が小栗だということに気がつかない。小栗が身の上話を照手姫に聞かせると、やがて照手姫は黙ってむせび泣いた。二人はようやく再会することができたのである。

その後、二人は常陸の国に大きな屋敷を構え、大いに栄えた。そして、小栗が83歳で大往生をとげると、その供養にあらゆる神仏が集まったという。

これは、室町時代に成立したといわれる、餓鬼阿弥のように難病や悲惨な地獄を味わっているどんな人間でも、熊野信仰によって回復し、幸せになれますよ、という伝説である。
(※この伝説には諸説あります)