民話を読む~本当は渡海しなかった?もう一つの維盛物語~

お万ヶ淵

平維盛は、権勢を誇った平清盛の孫で、なおかつ源平の合戦では平家の総大将を務めた。しかしながら容姿端麗で気が優しく、元来戦には向かない武将であったのだろう。平家の命運を分ける屋島の戦いで、毎日何千という敵味方が死んでいくことに嫌気がさし、都に残してきた妻子が気がかりになこともあって、わずかな家来を連れて都に帰ろうとした。
しかし、源氏の目が光って都に近寄ることができないので、仕方なく僧侶に姿を変え、熊野へくだり、那智の海岸で鎧と太刀を捨てて大木に、

平維盛

「三位中将維盛(さんみのちゅうじょうこれもり)、歳二十七、寿永三年三月二十八日、那智の沖に入水する」

と書き付け、入水自殺したように見せかけて、やがて竜神の里(和歌山県日高郡龍神村)に辿りついた。
この竜神の里でお万という大変美しい娘と知り合うと、維盛はお万と小森谷にある古い家を借りてひっそりと暮らしたという。
山奥での静かな暮らしにも慣れてくると平家一門のことが心配になり、そのうち、壇ノ浦の合戦で平家が滅んだという噂が聞こえるようになってきた。ある日、維盛は近くの一番高い山へ登って護摩を焚き、
(平家をもう一度再興できるならば煙を天に向かって上げ、できないのなら煙を地に下ろして、一族の運命を知らせてくだされ)と心の中で祈り占うと、煙は下へ下へと下ってしまった。
(この護摩を焚いた山は、護摩壇山と呼ばれる)

維盛は平家の運もこれまでかと思い定め、竜神の里を出ることにした。事の仔細を聞いた家来の衛門(えもん)と嘉門(かもん)は、平家再興の夢が絶たれたことを悲しんで、滝に身を投げて死んでしまった(その滝は二つに別れていて、左を「衛門の滝」、右を「嘉門の滝」と呼ぶ)。寂しげに村を出て行く維盛の後姿を見送ったお万は、小森谷の滝の前できれいに化粧をすると、残った白粉と紅を川に流した(白粉が流れこんだ滝壷は真っ白になって「白壷の滝」、紅の流れこんだ滝つぼは「赤壷の滝」と呼ばれる)。

お万

お万は淵に身を投げ、それからその淵を「お万ヶ淵」と呼ぶようになった。
維盛のその後の足取りは誰も知らないという。

龍神村には維盛が隠れ住んだという屋敷跡や維盛にまつわる伝説が数多く残っている。
補陀洛渡海したといわれる維盛の、もう一つの物語である。

勝浦町色川の桜

勝浦町色川の桜

八咫烏

八咫烏(やたがらす)(那智大社)

トンビ

那智の上空を飛ぶトンビ

巨木

大門坂にあった巨木