歴史をたどる~時代を映す街~

江戸の賑わいを今に伝える Passing down the Edo life excitement to today

新選江戸名所 日本橋雪晴図

新選江戸名所 日本橋雪晴図 歌川広重

日本橋界隈は、江戸開府によって、江戸城を中心に造成した町人地から始まり、五街道の整備に伴い早くから多くの商店が軒を連ねた。
日本橋の東側では、関東大震災によって築地に移るまで、およそ300年にわたって魚河岸があって、今もその名残として鰹節や海苔、佃煮を商う店が多い。
歌川広重の浮世絵は、魚河岸で魚を買いつけた多くの人々が、慌しく日本橋を往来している姿が生き生きと描かれている。

江戸から続く老舗と、最先端の海外ブランドが軒を連ねる日本橋から銀座を結ぶ中央通りは、今も昔も、誰もが憧れる日本の中心地だ。テクロノジーと伝統が絶妙に混ざり合う、まさに日本の象徴といえる地だろう。

すべての道のはじまり The beginning of every road

日本橋が最初に架けられたのは、徳川家康が江戸開府の1603年に、全国を網羅する五街道の整備に際し架けられた。木造であったため、その後火災によって幾度となく架け替えられてきた。

現在の日本橋は20代目にあたり、1911年(明治44年)4月に架けられた石造二連アーチ橋で、1999年に国の重要文化財に指定されている。親柱に掲げられた「日本橋」と「にほんばし」の文字は、徳川慶喜の揮毫(きごう)によるもので、明治という新時代の象徴に徳川幕府最後の将軍の文字が掲げられているとは、感慨深いものがある。

日本橋の北詰西側の植え込みには、江戸時代は五街道の起点、その後は全国の道路の基点であることを示す「日本国道路元標」がある。いつの時代も、人々は日本橋を目指し、また日本橋から全国へ旅立っていく。

明治5年の日本橋

日本橋 明治5年4月撮影 木造であることがわかる

震災前の日本橋

震災前の日本橋より三越を望む

新しい時代へ To a new age

関東大震災や東京大空襲にも耐えた丈夫な橋の上には、1964年の東京オリンピック開催に向けて造られた高速道路が覆って景観を損ねているが、現在、地元住民や企業がかつての日本橋の姿を取り戻そうと、「日本橋再生計画」を進めるべく奮闘しているのだとか。
また、今月(2011年4月)には日本橋の袂に船着き場が完成し、かつてのウォーターフロントを彷彿させる舟での東京江戸観光ができるようになる予定だ。(2011年4月20日現在)

日本橋界隈の一部を切り取っても、時代の変遷をはっきり知ることができる。下に見る広重の絵には、現在の中央通り(旧日本橋通)の右手に紺色の暖簾を下げた呉服・小間物を扱う白木屋があるが、明治中頃になると店舗の趣きはそのままに洋服店へと変化を遂げ、その後白木屋デパート、東急百貨店へ、そして現在のコレド日本橋へと姿を変えた。

激しい時代の変化の中、日本の中心として古くから大切にされてきた日本橋。さらなる進化を遂げながら、これからもずっと日本の中心として在り続けることだろう。

江戸から現在までの変遷
■取材協力  中央区立京橋図書館/日本銀行/三井住友美術館/静岡市東海道広重美術館
鉄道馬車時代の日本橋

鉄道馬車時代の日本橋(明治中期)

昭和14年撮影 日本橋

昭和14年撮影 日本橋

現在の日本橋(2011年4月)

現在の日本橋(2011年4月)

徳川慶喜揮毫の文字

徳川慶喜揮毫の文字

日本国道路元標

日本国道路元標

日本橋に船着場ができる

日本橋に船着場ができる