民話を読む~沖縄県に伝わる王朝時代のお話~

真玉橋(まだんばし)の人柱

真珠道(まだまみち)の途中、国場川(こくばがわ)に大永2年(1522年)、尚真王の治世の下、木造で真玉橋(まだんばし)が造られた。

ところが、大雨で国場川が増水して水勢が激しくなると、橋は何度も流されてしまう。真珠道は南への重要な道であったことから、首里王府は1707年尚貞王の命で石橋へと改修することにした。

現在の真玉橋

この石橋への改修工事が大変難しく、7ヶ月かけてようやく工事も大詰めというところまできたのだが、なんとまた大雨が降って全部崩れてしまったのである。しかも、そういうことが5回も6回も続いたので、工事を担当していた役人もほとほと困り果ててしまった。
色々な人がやってきてはあれやこれやと意見を言うものの、これといった案は浮かばなかった。
そんなある日、霊力を備えているという男がやってきて、神様から

「子(にぃ)の歳生まれで、七色の元結をした男を人柱として立てたら、橋は立派に出来上がる」

とお告げがあったと言う。

役人たちは藁にもすがる思いだったので、工事の人足や近隣の男たちから七色の元結をした者を探したが、どこにも見つからなかった。
途方に暮れたある日、役人はまだこのお告げをした神がかりの男を調べていないことに気がついた。
男を連れてきて調べたところ、まさに七色の元結をしている。しかも、子の歳生まれだという。
こうして、お告げ通りの男が見つかったとはいえ、自分のお告げによって男は真玉橋の人柱にされてしまったのである。
しかしそれ以来、どんな雨にもびくともしない丈夫な橋となったので、人々はその男を真玉橋の神様として祀ったという。

※元結(もとゆい):髻(もとどり)を結ぶもの。麻糸や組紐などを用いた。

街道沿いに伝わる妖怪のお話

尚真王(1477~1526年)の頃、中頭方西海道のとある道沿いは、琉球松の生い茂る寂しい場所で昼間でも暗く、妖怪が出没しては街道を通る人々を困らせていた。
そこで、高野山で修行した日秀上人がお経(金剛経)を書いた小石を埋め、その上に「金剛嶺」と彫った石碑を建てたところ、妖怪は現れなくなり、人々にたいそう喜ばれたそうである。

経塚の碑

経塚は沖縄の言葉で「チョーチカ」といい、地震や雷が起きた際「チョーチカ、チョーチカ」と唱えると納まると信じられるようになったという。

真珠道

真珠道(金城石畳道)

泡盛を飲むシーサー

泡盛を飲んでいるシーサー

花

冬でも鮮やかな花が咲く

琉球の楽器

沖縄の楽器、三線