実際に「歩いて」「走って」集めた『人力』旧街道紹介サイト
戦国時代の太田道灌が川越城と江戸城を築いたころ、二つの城を結ぶ重要な役割を果たす道であり、また江戸城には中山道板橋宿平尾の追分で分かれる脇往還として栄えた。日本橋から川越城下まで栗(九里)より(四里)うまい十三里とうたわれ、「川越いも」の宣伝にも一役かった。
江戸時代、川越は、江戸の北西を守る要となり、藩主には、老中格の譜代大名が配置された。また、家康以下、三大将軍も、鷹狩りや参詣にこの街道を往来し、松平信綱が川越城主となってからは、さらに整備されるようになった。街道には、上板橋、下練馬、白子、膝折、大和田、大井の六か宿が設置され、人馬の往来が盛んであったが、各宿場の村にとって、伝馬役の負担も大きかったという。
基本的に国道254号線と付かず離れずといった形で旧川越街道は走っています。東京都内の「上板橋宿」「下練馬宿」に関しては、一本入った商店街を通る頻度も高く、土地に根付いている街道を体感できます。
埼玉県に入り、「白子宿」「膝折宿」と進むと、旧街道の面影を見せてくれます。さらに「大和田宿」「大井宿」と進むと、ケヤキや松の並木が目を楽しませてくれます。終点の「『小江戸』川越」は、蔵の町として現在も多くの観光客の訪れる場所で、その風情を楽しむことができるでしょう。