上板橋宿かみいたばししゅく(東京都板橋区)

上板橋宿は宿場の規模も小さく、本陣などはなく、名主河原与右衛門宅がこれらの機能を兼ねていた。なぜなら、この街道を利用する大名が川越藩主のみに限られていたためで、わざわざそのための宿泊施設としての本陣をおく必要もなかったことから、名主家を休憩場として間に合わせていた。

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豊敬稲荷神社(とようけいなりじんじゃ)
豊敬稲荷神社の案内板に、「この旧道は江戸時代から明治初年にかけ川越と江戸を結ぶ主要な街道で川越道又は脇往還とも呼ばれていた。弥生町一帯は当時伝馬役を負担していたため上板橋宿といい、宿内は三宿に分かれていた。伝馬とは街道の貨客を運ぶ際宿から人夫や馬を提供するもので、江戸から上板橋また次の宿下練馬村までが上板橋宿の負担であった」と書かれている。
下頭橋(げとうばし)
上板橋宿の川越側の宿端の石神井川に架かる橋。寛政10年(1798)に近隣の村々の協力で石橋に架け替えられた。橋の由来には諸説あり、「旅の僧が地面に突き刺した榎の杖がやがて芽をふいて大木に成長したという逆榎があったから」であるとか、「川越城主が江戸に赴く際に、江戸屋敷の家臣がここまで来て頭を下げたから」、「橋のたもとで旅人から喜捨を受けていた六蔵の金をもとに石橋が架け替えられたから」と、諸説ある。

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