実際に「歩いて」「走って」集めた『人力』旧街道紹介サイト
五街道のひとつ甲州街道は、江戸日本橋を起点に、内藤新宿、下高井戸、上高井戸、布田五宿、府中、日野、八王子を通り小仏峠から甲府を経て信州の下諏訪に至る、200キロ強にも及ぶ約53里の道である。甲州街道は当初、江戸城と甲府城を結ぶ軍事目的を主眼としたものだったが、江戸城に危機が及んだときの避難路だったという説もあり、これは甲府城を有する甲府藩が親藩であること、沿道の四谷に伊賀組・根来組・甲賀組・青木組(二十五騎組)の4組から成る鉄砲百人組が配置し、鉄砲兵力が将軍と共に甲府までいったん避難した後に江戸城奪還を図るためである。そして、江戸中期頃から、甲州・信州などから江戸への流通の道として重要性を増して行き、甲府城に詰める武士「甲府勤番」(こうしゅうきんばん)や八王子千人同心、富士講(富士山信仰の組織)にさらに毎年4月には、幕府御用達の宇治茶を江戸まで届けるお茶壺道中も通り、街道筋は賑わいを見せ、江戸100万人の生活を支える動脈として発展した。
江戸中期頃から、甲州・信州などから江戸への流通の道として重要性を増し、江戸100万人の生活を支える動脈として発展、様々な名所旧跡や景勝地、歴史的なエピソードの残る街道です。日野宿(東京都内で唯一現存する本陣)・小原宿(神奈川県内唯一の本陣)・上諏訪宿(下諏訪宿本陣の問屋場跡)の3軒の本陣建物が残っており、遺跡・遺構も多く見られます。また、犬目宿の「犬目の兵助の墓」を振り返ると、葛飾北斎が冨獄三十六景を完成させた際に甲列犬目峠からの富士山を描いたと言われる富士の絶景が現れます。こういった情景溢れる景色の良さも甲州街道の特徴で、行楽シーズンには大勢の人出で賑わいます。しかし、難所と呼ばれる小仏峠や笹子峠などでは、場所によって道が荒れているので十分な注意が必要です。歴史的な遺構としては、武田信玄や新撰組にまつわる資料館や寺社などを随所に見ることができます。