蔦木宿つたきしゅく(長野県諏訪郡)
- 応安の古碑(おうあんのこひ)
- 応安とは北朝の年号で、諏訪郡で最古のものである。
- 六角灯篭(ろっかくとうろう)
- 六角灯篭や常夜燈が建っている。
- 枡形道路(ますがたどうろ)
- 蔦木宿は、甲州街道(道中)の宿駅として、慶長16年(1611)ころつくられた。
この宿駅は新しい土地に計画されたので、希に見る完備した形態となっている。
桝形路は、南北の入口に設けられ、以来、宿内への外からの見通しを遮り、侵入者の直進を妨げて、安全防備の役割をはたしてきた。
平成3年度の道路改良工事のために、南の桝形路を移動したので、その形態を碑面に刻し、これを残す。
- 十五社大明神(じゅうごしゃだいみょうじん)
- 由来等は分らないが、立派な鳥居がある。
- 本陣跡(ほんじんあと)
- 蔦木宿の街は街道に面していて、屋敷割りをし、本陣・問屋などが位置づけられた。
本陣の規模は広大で多くの座敷や板敷、土間のほか堂々とした門構えや広い玄関、書院造りの上段の間などを具備していた。
現在は、門のみ存在している。
- 御膳水(ごぜんすい)
- この水は七里ヶ岩から出る湧水であり、明治天皇がご巡幸の折に使われた、御膳水である。
その御膳水と、あと2ヶ所の湧水を利用して、明治39年頃、蔦木宿の街道筋に、16ヶ所の水道施設を造り飲料水として昭和26、27年頃まで使用されていたものである。
当時の施設の石が保存されていたものをここに復元した。
この場所には、他にも与謝野晶子が詠んだ句碑もある。
- 西桝形跡碑(にしますがたあとひ)
- 西側の桝形道路に石碑が建っている。
- 川除古木(かわよけこぼく)
- 釜無川の氾濫による水害から蔦木宿を守るために、宿の上の入口付近につくられた信玄堤と呼ばれる堤防がある。
川除古木は、この信玄堤と共に水害から地域を守るために植えられた川除木の名残りの古木であり、現存しているものはキササゲ一株、サイカチ二株、ケヤキ一株である。
明治31年(1898)の大水のときには、ここの大木を切り倒して集落内に向かおうとする大水の向きをかえ、集落を水害から守ったといわれる。
≫金沢宿へ行く
蔦木宿は、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠15軒であった。
江戸幕府の宿駅制度によって、慶長16年(1611)ころ、甲州道中第43番目の宿駅として設置された。
≫教来石~蔦木を歩く