内藤新宿ないとうしんしゅく(東京都新宿区)

戸四宿(品川宿、板橋宿、千住宿、内藤新宿)のひとつ。当初は存在していなかったのだが、日本橋から、次の高井戸宿までの距離が長いとの訴えから設置された。宿場が置かれるまでは、甲州街道と青梅街道との分岐点(追分)があったため、新宿追分と呼ばれた。

≫日本橋~内藤新宿を歩く

四谷大木戸跡碑(よつやおおきどあとひ)
江戸時代の四谷に設けられていた、甲州街道を通って江戸に出入りする通行人などを取り締まるための関所。
長善寺(笹寺)(ちょうぜんじ(ささでら))
曹洞宗・長善寺は、天正3年(1575)乙亥の草創にして開山は文叟憐学(ぶんそうりんがく)和尚、本尊は釈迦如来、脇士は普賢、文殊。
当寺は笹寺とも呼ばれているが、この名は、二代将軍徳川秀忠が鷹狩の途中ここに立ち寄り、境内に笹が茂っているのを見てつけたものだとも、それは三代将軍徳川家光が江戸巡覧をした時のことだとも(寺伝)いわれる。この二説には、いずれも確実な根拠があるわけでないから、どちらが正しいとはいいかねる。
玉川上水水番所跡(たまがわじょうすいみずばんしょあと)
承応2年(1653)に完成した四谷水番所が設けられており、江戸市中へ配水していた。元禄12年(1699)には大木戸の西に甲州街道最初の宿場となる内藤新宿が開設された。
新宿御苑(しんじゅくぎょえん)
もともとは江戸時代に信濃高遠藩内藤家の下屋敷のあった敷地である。現在は環境省管轄の国民公園として親しまれている。数多くの樹木が植えられ、四季折々の様相を見せてくれる。
太宗寺(たいそうじ)
浄土宗の寺院。都内最大の閻魔像があり、江戸時代から新宿の閻魔として親しまれてきた。また、江戸六地蔵の1つもここにある。

≫高井戸宿へ行く

内藤新宿 四谷大木戸跡碑 長善寺(笹寺) 玉川上水水番所跡 新宿御苑 太宗寺