金沢宿かなざわしゅく(長野県茅野市)

金沢宿は、本陣1軒、脇本陣0軒、旅籠17軒であった。
小松三郎左衛門が本陣を勤めた頃、諏訪藩の命令により金沢宿の所有地および、大沢山の入会権を隣の茅野に奪われてしまった。そこで、三郎佐衛門は諏訪藩に直訴、しかし捕えられ妻子まで処刑されてしまった。この地では「みょうり様」と呼ばれ親しまれている。
明治17年裁判で金沢宿の権利が認められた。

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金沢宿本陣跡(かなざわしゅくほんじんあと)
金沢宿には2軒の問屋が置かれ、主は名字帯刀が許されていて世襲であった。
金沢宿は慶安年間の初めまでは現在地の北方権現原にあって青柳宿と称していたが、度重なる水害と前年の火災で焼失したのを機に、慶安4年(1651)現在地に移転し金沢町と改称した。
金沢橋(かなざわばし)
往時は橋渡しで、流末は諏訪湖に落ち合う。往時の川幅は7間(約12.6m)あった。
桝形(ますがた)
桝形路は、宿の入口に設けられ、宿内の外からの見通しを遮り、侵入者の直進を妨げて、安全防備の役割をはたしてきた。

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金沢宿 金沢宿本陣跡 金沢橋 桝形

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