水戸街道みとかいどう

街道地図

水戸街道は千住宿を基点に、松戸宿、取手宿、土浦宿…と経て、水戸に至る約116㎞の行程。 水戸徳川家と江戸を直結する幹線道路として、五街道に次ぐ重要な存在だった。
時は慶長14(1609)年、徳川頼房が水戸藩主となり徳川御三家が誕生した。 徳川頼房は、家康の11男。 慶長8年、山城伏見城で生まれ、常陸下妻10万石に、そして慶長14年には水戸25万石に移封された。 これにより、水戸藩は徳川政権下で大規模なものとなった。
水戸徳川家は将軍の補佐役と目され、江戸に生活の本拠を置いていた。 まれに、藩主が国許に下るときの行列は盛大で、重役から町役人一同、土下座して送り迎えしたと伝えられている。 それが、時代劇の「下に、下に」の台詞で知られるあのシーンだ。
水戸街道は水戸徳川家の勢力拡大により、整備がさらに進められた。 それゆえ五街道の混雑などを避けるため、23家もの大名が利用したと伝えられている。 その数は東海道、奥州街道、中山道に次ぐ。 水戸街道はまた、百万都市・江戸への物資輸送路としても利用され、街道沿いの発展にも繋がった。 そして、その発展により水戸藩にも潤いがもたらされた。

水戸街道の見どころ

 江戸と徳川御三家の城下町水戸を結ぶために整備された日光街道に付随する水戸街道は、五街道に次ぐ重要な街道であった。それだけに、この街道には多くの歴史が刻まれている。
 歴史を辿る上では、水戸街道に3カ所のみ残された取手、中貫、稲吉の本陣は見もの。また、観光として巡るなら、かつての城下町を今も残す水戸市内、また終点水戸の観光スポットも見逃せない。江戸時代とは関係ないが、石岡駅前も昭和初期の独特な雰囲気を感じることができる。
 23家もの大名が通行しただけあり、水戸街道沿いには名品・銘菓・名店が多く存在する。その代表が、終点の地名が冠された水戸納豆。源義家が奥州に向かう途中、水戸市の一盛長者の屋敷に泊まった折に馬の飼料である煮豆の残りから納豆ができた、と伝えられている。そのほかにも取手の奈良漬け、日本酒など、目だけでなく舌も楽しめる街道と言える。