須原宿すはらしゅく(長野県木曽郡大桑村)

正徳5年(1715)の木曽川の大洪水によって、宿場のほとんどが流出したため、その後一段高い土地に移転したのが現在の須原宿の町並みである。水舟と呼ばれる木をくり抜いて作られた水汲み場が、随所にある。

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須原の一里塚跡(すはらのいちりづか)
75里目。立て札が立つのみである。
本陣跡(ほんじんあと)
木村氏が務めた。現在は立て札のみである。
脇本陣跡(わきほんじんあと)
西尾家が務めた。
枡形 鍵屋の坂(ますがた かぎやのさか)
枡形は宿場の京方(京都側)に設けられ、幕府に反乱を起こした敵を防ぐために造られたものである。
道路を直角に曲げ急坂にし、攻めにくくなっている。
「鍵屋の坂」ともいう須原宿の枡形は形態が良く保存されており、評価が高い。
定勝寺(じょうしょうじ)
嘉慶年間に木曽家第十一代の源親豊が木曽川沿いに創建したが、その後木曽川の洪水による流出。慶長3年(1598)に現在の地に移された。本堂など、貴重な建物も残り、国の重要文化財に指定されている。

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