深谷宿ふかやしゅく(埼玉県深谷市)

江戸から9番目の宿であった。岡部には安倍(あんべ)家の旧岡部藩岡部陣屋があり、遺構として長屋門、西島町に地方(じかた)通用門が残っている。熊谷では飯盛女がいなかったのに対して、深谷宿は、中仙道最大規模の宿場で、飯盛女も多く、遊郭もあり、ほとんどの旅籠が飯盛女をかかえ一層の賑わいをみせた。その様子を浮世絵師英泉は「岐阻街道 深谷之驛」(きそかいどう ふかやのえき)で描いている。渋沢栄一の生誕地でもある。

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常夜燈(東口)(じょうやとう(ひがしぐち))
天保11年(1840)の建立で、宿場の東口にあった。
大谷邸(おおたにてい)
昭和恐慌の時、時の深谷町長故大谷藤豊氏がお助け普請で建てた木造二階建て洋館付和洋折衷住宅。ステンドグラスなど大谷邸には精巧優美な細工が数多く見られる。登録有形文化財。
行人橋(ぎょうにんはし)
木橋が主流だった江戸時代には珍しく石橋だった。ここからが宿の始まりだという説もある。明治31年(1898)には当時の最新建材である煉瓦を使って建設されている。行人橋の右岸橋詰に「橋の改修由来碑」が立っている。
飯島本陣跡(いいじまほんじんあと)
宝暦2年(1752)より明治3年(1871)ま で本陣職を務めた。本陣の一部は印刷所の事務所裏手に現存し、上段の間、次の間、入側が古色を帯びて保存されている。
旧田中籐左衛門商店(きゅうたなかとうざえもんしょうてん)
当蔵元は近江商人であり享保元年(1716)、屋号「十一屋」としてこの地に創業。約950坪の敷地に本屋、店蔵、酒蔵、精米倉などの建物があり、古いものは幕末の物と推定される。平成16年(2004)廃業により300 年の歴史を閉じた。
呑龍院(どんりゅういん)
常夜燈(西口)の向かいにあり、真っ赤に塗られた呑龍院鐘楼は人目を引く。境内には子育て地蔵がある。
常夜燈(西口)(じょうやとう(にしぐち))
天保11年(1840)の建立で、宿場の西口にあった。透かしの「三」はこの常夜燈を立てた富士講の講印。宿場の発展を願い、天下泰平、国土安眠、五穀豊穣と刻まれている。

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深谷宿 常夜燈(東口) 大谷邸 行人橋 飯島本陣跡(飯島印刷) 旧田中籐左衛門商店 呑龍院 常夜燈(西口)と呑龍院

前の名所:見返りの松