落合宿おちあいしゅく(岐阜県中津川市)

落合宿は、江戸方町筋の入口に道路を直角に曲げられた枡形が作られ、往還の真中に常夜燈もあった。
文化元年(1804年)、12年(1815年)の二度の大火は宿に大きな打撃を与えた。しかし、現在も本陣井口家、梲(うだつ)、格子のある民家や江戸方の十曲峠と石畳、京方の与板付近には江戸時代の面影を随所にとどめている。

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高札場跡(こうさつばあと)
落合宿の高札場跡と書かれた石碑がる。
常夜燈(じょうやとう)
宿場通りには、秋葉様の常夜燈が4基あり、戸ごとを回る当番により灯をともし防火を祈ってきた。
寛政4年(1792年)12月に建てられたが、明寺13年(1880年)の道路整備の際、3基は他所に移された。
この1基だけが道の片隅に寄せられ往時の姿を留めている。
塚田脇本陣跡(つかだわきほんじん)
庄屋と問屋を兼ねていた。
落合宿脇本陣跡と書かれた石柱がある。
落合宿本陣跡(おちあいしゅくほんじんあと)
落合宿本陣井口家は、代々本陣を勤めると共に、問屋・庄屋をも兼務し、宿の業務を運営を行う指導的な家柄で、苗字帯刀を許される礼遇を受けた。明治13年(1880年)に大改修されているが、正門を始め、上段の間、小姓の間等が今もそのまま保存されている。
改修のときに現在の位置に移設された正門は、文化元年(1804年)の落合宿の大火の後に、加賀の前田候より贈られたものといわれている。
明治天皇御巡幸、また和宮御降嫁に際し、御小休の栄に浴している。
昭和54年4月、中津川市の史跡に指定。
落合宿助け合い大釜(おちあいしゅくたすけあいおおがま)
文久元年(1861年)、皇女和宮の大通行時には、4日間で延べ約26000人余が落合宿を通った。当時、暖かいおもてなしをするため、各家のかまどは引きも切らず焚きつづけられた。
ここに展示してある「大釜」は、「寒天」の原料(天草)を煮る時に使用されたもので、容量は1000ℓを超える。(口径約1.5m)
善昌寺の門冠松(ぜんしょうじのもんかぶりまつ)
善昌寺は慶長5年(1600年)の創建といわれ、武儀郡関村(関市)にある龍泰寺の末寺である。
ここにある松は、創建当時の山門を覆っていたことから、門冠の松と呼ばれている。
道路新設拡巾・寺の移設等で根が傷めつけられてきたのか、凡そ450年の年を経ているといわれているが、さほど大きくなく、宿場の入口に格好の風采を添えている。

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前の名所:飯田道標