赤坂宿あかさかしゅく(岐阜県大垣市)

赤坂宿東西に連なる町筋には、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠17軒と商家が軒を並べ、美濃国の宿場町として繁盛していた。
また、明治年間には杭瀬川の豊富な水量を利用した、舟運交通が最盛期を迎え、赤坂宿の東端にある赤坂港が重要な役割を果たしていた。

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赤坂港跡(あかさかみなとあと)
赤坂港は明治年間に整備された。杭瀬川の豊富で安定した水流を利用して栄え、明治39年には、この港を利用した500艘を数えたという。
赤坂宿本陣跡(あかさかしゅくほんじんあと)
ここは中山道赤坂宿の本陣跡で、当時は間口24間4尺、邸の敷地は2反6畝26歩、建物の坪数は凡そ239坪あり、玄関・門構えの豪勢なものであった。
文久元年10月25日、皇女和宮がここに宿泊した事は有名である。
浴汲道道標(たにくみどうどうひょう)
「左 たにくみ道」と書かれた道標と、「赤坂宿」と書かれた新しい看板がある。
赤坂宿脇本陣跡(あかさかしゅくわきほんじんあと)
赤坂宿に脇本陣は1軒しかなく、宝暦年間以後、飯沼家が代々にわたり脇本陣を勤めてきた。
また、問屋・年寄役も兼務していた。
子安神社(こやすじんじゃ)
女性がまたがると子供が授かるという、跨ぎ石がある。
兜塚(かぶとづか)
この墳丘は、関ヶ原決戦の前日(1600年9月14日)杭瀬川の戦に笠木村で戦死した東軍、中村隊の武将、野一色頼母(のいっしき たのも)を葬り、その兜を埋めたと伝えられている。
以後、この古墳は兜塚と呼ばれている。

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赤坂宿 赤坂港跡 赤坂宿本陣跡 浴汲道道標 赤坂宿脇本陣跡 子安神社 兜塚

前の名所:赤坂大橋