実際に「歩いて」「走って」集めた『人力』旧街道紹介サイト
中山道の両側には、一里塚(約4㎞)ごとに塚が築かれ、松や榎が植えられていた。 一里塚は旅路の行程の目安を与えるとともに、休息の場としても利用され、市内には4ヵ所あった。 この上宿にはあった塚は、江戸から数えて85番目にあたり、両側とも榎が植えられていた。 現在南側の塚は消滅し、北側にあった塚が昭和9年に復元されている。 規模としては往時の約1/3の大きさである。
≫中津川~大井を歩く
中山道の両側には、一里塚(約4㎞)ごとに塚が築かれ、松や榎が植えられていた。
一里塚は旅路の行程の目安を与えるとともに、休息の場としても利用され、市内には4ヵ所あった。
この上宿にはあった塚は、江戸から数えて85番目にあたり、両側とも榎が植えられていた。
現在南側の塚は消滅し、北側にあった塚が昭和9年に復元されている。
規模としては往時の約1/3の大きさである。
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