薮原宿やぶはらしゅく(長野県木曽郡木祖村)

中山道の難所の一つ、鳥居峠の麓に位置し、また飛騨街道との分岐があったため、宿泊するものも多かったという。

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本陣跡(ほんじんあと)
薮原宿に1軒あった本陣で、文久元年(1861)には、皇女和宮も宿泊した。現在は標柱が立つのみである。
防火高塀跡(ぼうかたかべいあと)
元禄8年(1695)、薮原宿のほとんどが焼失する大火があった。その後の防火対策として、宿再建の際に各戸一間につき一寸の割合で提供しあって、上横水と下横水の二箇所に四ッ辻の広小路を作った。文化年間にはさらに中心街の火災に配慮して、上横水の広小路には北側に土を盛り、石垣を築き、その上に高い土塀をつくって防火壁とした。これを高塀と呼んでいたという。
薮原一里塚跡(66里目)(やぶはらいちりづかあと)
66里目の一里塚。石碑と説明板があり、その奥には、蒸気機関車が展示されている。

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