実際に「歩いて」「走って」集めた『人力』旧街道紹介サイト
元禄8年(1695)、薮原宿のほとんどが焼失する大火があった。その後の防火対策として、宿再建の際に各戸一間につき一寸の割合で提供しあって、上横水と下横水の二箇所に四ッ辻の広小路を作った。文化年間にはさらに中心街の火災に配慮して、上横水の広小路には北側に土を盛り、石垣を築き、その上に高い土塀をつくって防火壁とした。これを高塀と呼んでいたという。
≫奈良井~薮原を歩く
元禄8年(1695)、薮原宿のほとんどが焼失する大火があった。その後の防火対策として、宿再建の際に各戸一間につき一寸の割合で提供しあって、上横水と下横水の二箇所に四ッ辻の広小路を作った。文化年間にはさらに中心街の火災に配慮して、上横水の広小路には北側に土を盛り、石垣を築き、その上に高い土塀をつくって防火壁とした。これを高塀と呼んでいたという。
≫奈良井~薮原を歩く