実際に「歩いて」「走って」集めた『人力』旧街道紹介サイト
古くは東山道、又戦国時代には武田氏が定めた宿駅である。木曽11宿の中でも標高940mと高い位置にあり、曽谷最大難所鳥居峠(標高1197m) を控え、大層賑わい「奈良井千軒」と称されたという。火災は多発しており、寛永8年(1631)から文久2年(1862)まで、記録に表れているだけで21件を数えている。町並みは天保年間の建物が多数残っており、狭い道の両側に長い軒先を突き出した家、二階が一階より1尺5寸(45cm)せり出した出梁造り、一階と二階の境に取り付けらた小さな屋根(鎧庇、猿頭)、くぐり戸、蔀戸、千本格子の町並みが続く。昭和53年、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、地区を上げて町並み保存に尽力している。
≫贄川~奈良井を歩く
その昔、この石が夜になるとうなりだすので、釘を打ち付けたがうなりが止まらないので今度は酒をかけたらうならなくなった
という伝説がある。今でも打ち付けた釘が残っている。
≫薮原宿へ行く
古くは東山道、又戦国時代には武田氏が定めた宿駅である。木曽11宿の中でも標高940mと高い位置にあり、曽谷最大難所鳥居峠(標高1197m) を控え、大層賑わい「奈良井千軒」と称されたという。火災は多発しており、寛永8年(1631)から文久2年(1862)まで、記録に表れているだけで21件を数えている。町並みは天保年間の建物が多数残っており、狭い道の両側に長い軒先を突き出した家、二階が一階より1尺5寸(45cm)せり出した出梁造り、一階と二階の境に取り付けらた小さな屋根(鎧庇、猿頭)、くぐり戸、蔀戸、千本格子の町並みが続く。昭和53年、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、地区を上げて町並み保存に尽力している。
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