板橋宿いたばししゅく(東京都板橋区)
- 観明寺(かんみょうじ)
- 境内の稲荷神社は、加賀藩下屋敷内に祀られていた三稲荷のうちの一社で、明治になって遷されたもの。
また、参道入口にある庚申塔は、寛文元年(1661)に造られたもので、青面金剛像が彫られたものとしては、都内最古のもので、区の指定有形文化財になっている。
- 遍照寺(へんしょうじ)
- 江戸時代は、区内唯一の天台宗寺院だったが、明治4年に廃寺となった。昭和22年に真言宗寺院として復活し、現在は成田山新勝寺の末寺となっている。
境内は、宿場時代の馬つなぎ場で、幕府公用の伝馬に使う囲馬、公文書伝達用の立馬、普通継立馬などがつながれていた。
- 板橋(いたばし)
- 鎌倉時代にはその名が記されている、板橋という地名の由来になった橋。
江戸時代には太鼓状の木製の橋であったが、昭和7年には、自動車の普及に対応するために早くもコンクリートの橋に架け替えられたが、その名は現在では、区の名前にも採用されている。
- 縁切榎(えんきりえのき)
- 男女の悪縁を切りたい時や断酒を願う時に、この榎の樹皮を削ぎとって煎じ、ひそかに飲ませるとその願いが成就するとされた神木。皇女和宮降嫁の際には、榎を避けるための迂回路が作られた上、榎を薦(こも)で覆ったといわれている。
≫蕨宿へ行く
江戸の玄関口である、江戸四宿の一つ。京都側(北側)から上宿(かみしゅく、現在の本町)、仲宿(なかしゅく、なかじゅく、中宿とも、現在の仲宿)平尾宿(ひらおしゅく、現在の板橋)に分かれており、それぞれに名主が置かれた。上宿と仲宿の境目は板橋の架かる石神井川、仲宿と平尾宿の境目は観明寺付近。本陣は仲宿に1ヶ所、他に脇本陣が2ヶ所で、旅篭は50軒程度だった。
宿内で、川越街道と分岐する。
≫日本橋~板橋を歩く