加納宿かのうしゅく(岐阜県岐阜市)

城下町「加納」は、関ヶ原の合戦から半年後の慶長6年(1601)に、十万石の領地を与えられた奥平信昌が、地元の有力者たちを指揮して整備したことから始まる。その後、寛永11年(1634)には中山道の宿場に定められた。宿場の中心部では、岐阜町から名古屋の熱田へ続く御鮨街道(岐阜街道・尾張街道)と交わっており、交通に要になっていた。

≫鵜沼~加納を歩く

東番所跡(ひがしばんしょあと)
城下町加納の東の入口。宿の出入りを取り締まった。
専福寺(せんふくじ)
戦国期を中心とした文書が多数残されている。その内、織田信長朱印状・豊臣秀吉朱印状・池田輝政制札状と伝えられる三通が岐阜市重要文化財に指定されている。
加納城大手門跡(かのうじょうおおてもんあと)
関ヶ原の戦いで勝利を納めた西国に備える重要な地として築いたのが、加納城である。ここには、その大手門があった。現在は碑のみが残る。
本陣跡(ほんじんあと)
加納宿の本陣を務め、皇女和宮も宿泊した。

遠ざかる 都としれば 旅衣 一夜の宿も 立ちうかりけり

の碑がある。

西番所跡(にしばんしょあと)
加納宿の西側の入口。

≫河渡宿へ行く

加納宿 東番所跡 専福寺 加納城大手門跡 本陣跡 西番所跡

前の名所:鵜沼~加納の地図