中津口門の大石なかつぐちもんのおおいし

後方にある二基の大石は江戸時代、古船場(ふるせんば)の中津口門の石垣で、細川忠興(ただおき)が慶長7年(1602年)に小倉城を築くとき大谷から運んできた。大石は上富野(かみとみの)で動かなくなり、忠 興は頭(かしら)の富岡某を手討ちにしたので、石は勢いよく運ばれた。村人は富岡を哀れみ地蔵堂を建て供養した(現在この富岡地蔵は、安全寺に安置されている)。これを聞いた小笠原四代藩主忠総(ただふさ)は「二つに割って運べば命まで奪わずにすんだ。石の大小は勝負にかかわらぬ」と言ったという。これを「細川の大石」「小笠原の割石」といった。明治になり中津や築上の青年が多数小倉に来た。門を入る時、大石をにらむと成功すると言われ一心ににらんだ。「大石にらみ」という。中津口門を解体した明治34年に、藤井曻吉が三本松の高倉稲荷神社に大石を移した。平成12年に高倉稲荷は八坂神社に合祀されたので石も移った。

≫小倉~苅田を歩く

中津口門の大石
中津口門の大石

前の名所:小倉城
次の名所:銀天街発祥の地