椎田宿しいだしゅく(福岡県築上郡)

椎田は本宿であり、築上郡の中心であり、築城郡全域を支配する「郡屋」と呼ばれる郡奉行の役宅(現、延塚記念館)があった。また、菱屋平七の日記には、「十丁計行けば椎田川、石橋を渡せり。橋を渡れば椎田なり。人家百五十軒計海辺に立つ。多くは漁農夫にして、宿場茶屋もあり。駅の宿なり」と記している。

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延塚記念館(のぶつかきねんかん)
小倉藩の筋奉行、延塚卯右衛門は、1836(天保7)年、凶作による飢えに苦しむ農民の生活を案じ、藩が農民に貸し付けている種もみ代の根付(ねつけ)料の取り立てを独断で免除。その責任を取って椎田村の郡屋(延塚記念館)にて自刃したとされる。現在は、築上町歴史民俗資料館になっている。
里程標(りていひょう)
もともとは旧国道沿いにあったが、交通量の増加に伴い、昭和50年ごろに西福寺の山門前に移された。「従是山鹿迄三里三拾壹町」「従是苅田迄四里半」「従是松江迄壹里八町」とある。
金冨神社(きんとみじんじゃ)
旧郷社金富神社は、宇佐八幡宮の元宮で、原始八幡神顕現の霊地といわれる。金富神社の歴史は、三世紀頃までにさかのぼることができる。創祀の頃は矢幡八幡と呼ばれ、江戸時代になって金富神社(通称「やはたの宮・湊八幡宮」)となった。

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