実際に「歩いて」「走って」集めた『人力』旧街道紹介サイト
八屋は、幕末になって松江と並ぶ宿になった。菱屋平七は「町屋に商家もあれど屋並のさま、きたなげにて、宿屋・茶屋もなく、ただうどん屋一軒あるのみ」と記していることから、菱屋平七が旅した享和2年(1802年)には、まだ宿場ではなかった。慶長年間に細川忠興が中津城に入ってから、小倉と中津を結ぶ新道として整備された。
≫松江~八屋を歩く
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八屋は、幕末になって松江と並ぶ宿になった。菱屋平七は「町屋に商家もあれど屋並のさま、きたなげにて、宿屋・茶屋もなく、ただうどん屋一軒あるのみ」と記していることから、菱屋平七が旅した享和2年(1802年)には、まだ宿場ではなかった。慶長年間に細川忠興が中津城に入ってから、小倉と中津を結ぶ新道として整備された。
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