大和田宿おおわだしゅく(千葉県八千代市)

大和田村と萱田村にまたがった大和田宿は、現在の八千代市大和田新田の付近。1日平均50人ほどの宿泊者があり、その内7割近くが江戸からの成田詣の客だった。

≫船橋~大和田を歩く

石塔群(せきとうぐん)
十九夜講、子安講、女人講の石塔が、11塔が道路脇に建立されている。
さわ田茶屋(さわだちゃや)
戦後最初の首相を務めた東久邇宮殿下の市川の別邸(昭和初期に建造)を昭和39年に移築。街道筋に平成11年開業した蕎麦を中心とした食事処。成田街道大和田宿の面影が偲ばれる。
日蓮宗天受山長妙寺(にちれんしゅうてんじゅさんちょうみょうじ)
寛永3年(1626)創建。本堂の左手に「八百屋お七の墓」と伝えられた墓。東京の円乗寺にはお七の墓石が3基並んでいる。お七の実母が彼女の骨を探し出し長妙寺に葬った。天和2年3月29日「妙栄信女」の記載がある。
真言宗豊山派圓光院(しんごんしゅうぶざんはえんこういん)
慶長15年に羅漢寺が移転して創立されたと言われる。 吉橋霊場第5番札所。馬頭観世音、女人講の碑が多数ある。
時平神社(大和田)(ときひらじんじゃ(おおわだ))
「三山の七年祭」には時平神社(萱田)と交替で御神輿を出している。
明治天皇行在之處の碑(めいじてんのうあんざいしょのひ)
明治6年4月大和田原に於いて近衛連隊の天覧演習が行われた。これに感動された明治天皇は「習志野原」と名づけた。
道標(どうひょう)
萱田道または権現道といわれ、飯綱神社への参拝道標となっている。
真言宗医王山薬師寺(しんごんしゅういおうざんやくしじ)
境内には、出羽三山巡礼講、女人講の石塔が多数建立。吉橋霊場代59番札所となっている。
時平神社(萱田)(ときひらじんじゃ(かやだ))
平安時代、右大臣菅原道真を失脚させた、ときの左大臣藤原時平に由来する神社。当地には「治承年間、時平の子孫、師経、師長一族郎党が難船し久々田(習志野市)に、漂着後に深山(船橋市三山)に移り、定着した」との言い伝えがある。また、萱田、大和田地区には3ヵ所の時平神社があり、「丑年」「未年」の数え年7年毎に行われる三山の七年祭には、大和田時平神社と交替で神輿を繰り出す。また、高台にある時平神社の境内から、東方向に北総台地が望まれる。

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大和田宿 石塔群 さわ田茶屋 日蓮宗天受山長妙寺 真言宗豊山派圓光院 時平神社(大和田) 明治天皇行在之處の碑 道標 真言宗医王山薬師寺 時平神社(萱田)

前の名所:石塔群