臼井宿うすいしゅく(千葉県佐倉市)
- 雷電の碑(らいでんのひ)
- 史上最強力士、雷電為右衛門の碑が妙覚寺の目の前に立っている。碑に刻まれた姿は等身大で197cmである。隣には手形が残っている。碑に刻まれている「天下第一流力士雷電之碑」の文字は佐久間象山の筆によるもの。
- 臼井宿丁字路道標(うすいじゅくちょうじろどうひょう)
- 文化3年(1806)ごろに建てられたもの。正面に「右、成田ミち」、左側面に「西、さくば道」、右側面に「左、江戸みち」と書いてある。
- 常楽寺(じょうらくじ)
- 真言宗豊山派の寺で本尊は不動明王。かつては境内に臼井三名水があった。
- 臼井城址公園(うすいじょうしこうえん)
- かつて臼井城があった場所。臼井城は臼井氏、原氏、酒井氏の城であった。現在は城址公園として空堀・土橋が残っている。臼井八景と言われ、現在も印旛沼を望むこともできる。
- 太田図書の墓(おおたとしょのはか)
- 太田道灌の弟。文明十一年(1479)に太田図書は臼井城を落とすために城を包囲したが、城の防御があまりにも堅固なため一旦引き揚げようとした。その時、城兵が討って出てきて、激しい戦闘となったがついに落城した。その激しい戦で図書は討ち死にした。
- 円応寺(えんおうじ)
- 真言宗豊山派の寺で本尊は不動明王。かつては境内に臼井三名水があった。
- 臼井町道路元標(うすいちょうどうろげんぴょう)
- 道路元標は旧道路法で各市町村に一個ずつ設置されたもの。道路元標の隣には説明板が建てられている。この付近はかつての臼井宿の中心地でもある。
- 三叉路道標(さんさろどうひょう)
- 江戸時代の中項までは佐倉道と呼ばれていたが、成田山への参詣が盛んになるにしたがい、街道の名称も成田街道「成田道」へと移る。
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臼井氏の中興の祖といわれる臼井興胤によって、城としての基礎が置かれたと伝えられた。臼井城主である臼井氏は、以来十二代にわたり、地域一帯に勢力を及ぼしていた。しかし、慶長9年(1604)に廃城になっており、江戸時代には城下町としての機能は既に無かった。また、江戸時代の大関「雷電為右衛門」との関連も深い。
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