鉢石宿はついししゅく(栃木県日光市)
- 木戸跡(きどあと)
- JR日光駅の入口の交差点付近に、木戸(町の境や要所に警備のために設けられた門のこと)があったと云われている。
- 龍蔵寺(りゅうぞうじ)
- 畠山重忠の末子重慶が庵を建てたのがこの寺の始まりと云われている。鎌倉幕府に謀反を企てたと誤解され首を斬られた重慶を弔うために寺が建てられた。本堂右手に「重慶阿闇梨塔」と彫った墓碑がある。また傍らに、戊辰戦争で戦死した芸州藩士墓がある。
- 西行戻り石(さいぎょうもどるいし)
- 西行は東大寺再建の基金集めで旅した奥州平泉からの帰りに僧たちの知恵を試そうとした。日光権現がこのことを知ると小僧に姿を変えてこの石に乗り、西行が「どこへ行く。」と尋ねると「冬萌(ほ)きて夏枯草を刈りに行く。」と歌で答えたという小僧に驚いて引き返したと云われている。
- 入江本陣跡(いりえほんじんあと)
- 入江家がつとめたが、「御宮御菓子屋、本陣兼帯」といわれ日光御用達の菓子屋であった。
- 鉢石(はついし)
- 直径2mほどの石で、日光山開祖・勝道上人が托鉢の途中、大谷(だいや)川岸辺のこの石に座って日光山を仰いだと伝わる。日光開山以来、旅人の道標となった。「鉢を伏せたような形状」が名の起こりで、地名の由来にもなっている。日光市指定文化財。
- 観音寺(かんのんじ)
- 空海自刻と伝える千手観音のお堂がある。
- 板垣退助像(いたがきたいすけぞう)
- 戊辰戦争の時、幕府方の大鳥圭介と官軍の板垣退助が話し合って日光を戦火から守った功績により像がある。
- 天海上人像(てんかいしょうにんぞう)
- 天海上人は天台宗の本山・比叡山に学んだ密教僧で、天台宗のみならず中国の古い戦いのための占術(遁甲のようなものか)や神道などについても深い知識を持っていたと云われている。初め武田信玄に仕えていたが、その後徳川家に仕え、徳川家康・秀忠・家光の三代の将軍を補佐した。家康に神号の「東照大権現」を送ったことは特に有名である。
- 日光橋(にっこうばし)
- 神橋は、神事・将軍社参・勅使・幣帛供進使などが参向のときのみ使用されたが、一般は下流にの日光橋を通行した。
- 神橋(しんきょう)
- 昔は「山菅の蛇橋」などと呼ばれ日光二荒山神社の建造物で、橋の長さは28メートル、巾7.4メートル、高さ10.6メートルある。奈良時代の末に、神秘的な伝承によって架けられたこの橋は神聖な橋であり、寛永13年(1636)に現在のような神橋に造り替えられてから、神事・将軍社参・勅使・幣帛供進使などが参向のときのみ使用され、一般は下流にの日光橋を通行する。はね橋の形式としては我国唯一の古橋であり、日本三大奇橋(山口県錦帯橋、山梨県猿橋)の1つである。国重要文化財指定。世界遺産。
- 杉並木寄進碑(すぎなみききしんひ)
- 大沢宿手前にあった杉並木寄進碑と同じものである。
松平正綱が杉並木を植栽して東照宮に寄進したことが記された石碑。
並木の起点となる神橋畔および、各街道の切れる今市市山口(日光街道)、同小倉(例幣使街道)、同大桑(会津四街道)の4ヶ所に建ってる。この碑は日光神領の境界に建てられているので、境石と呼ばれている。
- 太郎杉(たろうすぎ)
- 高さ43m、幹回り6m近くある樹齢550年といわれる巨木。
- 深沙王堂(じんじゃおうどう)
- 神橋橋渡し伝説の深沙(じんじゃ)大王を祭る御堂。
- 輪王寺(りんのうじ)
- 江戸時代、天海大僧正(慈眼大師/じげんだいし)が住職となり、山王一実神道(天台宗)の教えで「家康公」を東照大権現として日光山に迎えのは有名である。輪王寺の称号が天皇家から勅許され、さらに慈眼大師(天海大僧正)・三代将軍「家光」公が新たにまつられ、「日光門主」と呼ばれる輪王寺宮法親王(皇族出身の僧侶)が住し、宗門を管領した。法親王は14代を数え、幕末に及んだ。
- 日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)
- 日光東照宮は、元和3年(1617)徳川初代将軍徳川家康公を御祭神におまつりした神社である。家康公は、元和2年(1616)4月17日駿府城(静岡県静岡市)で75歳の生涯を終えられ、直ちに久能山に神葬された。そして御遺言により、一年後の元和3年(1617)4月15日、久能山より現在の地に移されおまつりされ、東照社として鎮座した。その後正保2年(1645)宮号を賜り、東照宮と呼ばれるようになった。現在のおもな社殿群は、三代将軍家光公によって、寛永13年(1636)に造替されたものである。
- 日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)
- 八世紀末勝道上人が開山してから、霊峰二荒山(ふたらさん・男体山)を神の鎮まり給う御山として尊崇したことから、御山を御神体山と仰ぐ神社で、日光の氏神様でもある。男体山山頂に奥宮、中禅寺湖畔に中宮祠、山内(市内)に御本社と日光市内に3社鎮座してる。
- 輪王寺大猷院(りんのうじたいゆういん)
- 輪王寺大猷院は三代将軍・家光の廟所で大猷院は家光の法名でもある。遺言により東照宮を凌ぐことのないように規模、細工とも控えめに造営された。
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鉢石(はついし)宿は、正保元年(1644)に宿に定められ、日光街道の終点となる。元々、天平神護2年(766)に勝道上人により日光が開山されたときの輪王寺とともにできた門前町で、鉢石の地名の由来は、芝田善平の宅地に鉢を伏せたような石があることから鉢石村と呼ばれていた。その鉢石は、現在も史跡として保護されている。
≫今市~鉢石を歩く