千住宿せんじゅしゅく(東京都足立区)

千住宿は、東海道品川宿、中山道板橋宿、甲州街道内藤新宿とともに、江戸四宿と呼ばれていた。日光、水戸、成田へ向かう人々で賑わった千住宿は、江戸時代後期の人口が約1万人で、第2位の品川宿の6300人を大きく引き離して、最大だった。広重や北斎の画にも多く描かれている。

≫日本橋~千住を歩く

源長寺(げんちょうじ)
千住で寺子屋を開いて功績を残した多坂梅里の追悼碑がある。
千住一里塚(2里目)(せんじゅいちりづか)
日光街道、日本橋から2里目の一里塚跡がある。
勝専寺(しょうせんじ)
徳川家の御殿が造営され、徳川秀忠、家光、家綱らの利用があった。また、安置されている木造千手観音立像は、荒川から引き上げられたと言われており、千住の地名起源のひとつともされている。「赤門寺(あかもんでら)」の通称で親しまれている。

≫草加宿へ行く

千住宿 源長寺 一里塚跡(2里目) 勝専寺の赤門

前の名所:素盞雄神社