間々田宿ままだしゅく(栃木県小山市、栃木県下都賀郡野木町)
- 龍昌寺(りゅうしょうじ)
- 慶安四年(一六五一)、徳川家光の遺骸を日光廟に葬送の途中で安置所が設けられた。また、住職が有名な「間々田の蛇祭り」を発案した。
- 問屋場跡(とんやばあと)
- 今は説明板が建てられているのみである。説明版には問屋場の説明がある。
- 本陣・脇本陣跡(ほんじん・わきほんじんあと)
- 今は説明板が建てられているのみである。説明版には本陣と脇本陣問屋場の説明がある。
- 間々田八幡宮(はちまんぐうさんどう)
- 間々田八幡宮は蛇祭りで知られている。毎年5月5日に行われている間々田の蛇祭りは、長さ20m近くの藁で作った蛇体を子供たちが「蛇がまいた(ジャガマイタ)、蛇が巻いた、4月8日の蛇が巻いた」と囃しながら練り歩き、各町内の蛇が間々田八幡宮に集合し、神事や蛇の水のみ行事を行う。本来4月の花祭りの日に行われていたが、いつしか「子供の日」の祭りになった。田植え前の雨乞い行事であった。
- 浄光寺(じょうこうじ)
- 珍しい鐘付き山門がある。現在の本堂は安永四年(一七七五)に再興されたもので、境内には観音堂や江戸時代の石造仏などがある。
- 行泉寺(ぎょうせんじ)
- 慶安元年(一六四八)に白鳥村から移転してきたと伝わる。
≫小山宿へ行く
元和四年(一六一八)に宿となる。日光街道の中間に位置し、日光参詣する大名や旗本にも利用される、位置的に重要な宿場であった。思川の乙女河岸は東照宮造営の資材が陸揚げされ、米や物資の輸送の要衡となった。
≫野木~間々田を歩く