報徳二宮神社ほうとくにのみやじんじゃ

この地で終焉を迎えた、二宮尊徳の墓がある。

二宮尊徳
16歳までに両親を亡くし、伯父二宮万兵衛の家に預けられた尊徳は、伯父の家で農業に励むかたわら、荒地を復興させ、また僅かに残った田畑を小作に出すなどして収入の増加を図り、20歳で生家の再興に成功する。
この体験をもとに、天地人三才の徳に報いることを説く報徳思想を形成。また、家・村を復興して興国安民を実現する仕法を体系化した。文政5年(1822)に小田原藩に登用され、天保13年(1842)には普請役格の幕臣となる。関東とその周辺の諸藩領・旗本領・幕領・日光神領の復興や個別の家・村の再建を依頼されて指導した。

なお、報徳二宮神社は、生地の小田原にもある。

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報徳二宮神社
報徳二宮神社

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