日光御成道にっこうおなりどう

街道地図

江戸時代になり、家康廟が日光に移され、将軍の日光社参が行われるようになると、日光道中の別格として、御成道と呼ばれた。日光道中の幸手に合流するまで、わずか一三里ほどの短い脇街道であるが、歴史の主人公が数多く行きかった重要路であった。

日光御成道には、こんなエピソードが残っている。
第10代将軍・家治(いえはる)の日光社参の際、行列の先頭がすでに日光へ到着しているとき、最後尾はまだ江戸を発っていなかったという。 このことから、日光社参は徳川家の一大行事であったことが窺える。
また、この社参は、徳川家の権威を広く知らしめる意味もあったと言われている。

日光御成道の見どころ

江戸を立ち、川口宿で昼食をとり、夜に岩槻に到着し一泊する。日光御成道には六つの宿場が存在するが、唯一、岩槻宿だけが宿泊場として使用された。幸手で日光街道と合流する全長約13里のこの街道、あくまでも日光街道の脇街道でしかなかった。そう考えると、やはり岩槻宿が一番の見どころと言える。
岩槻城は後北条氏が関東を治めていた頃から、小田原城に次ぐ重要拠点の一つ。今ではその姿を見ることはできないが、跡地の岩槻城址公園内に残された岩槻城黒門、裏門、空堀などで昔の面影を窺い知ることができる。
そのほか、江戸城と岩槻城を中継する稲附城跡、社参のたびに架けられた川口の渡し、今でも残る茅葺長屋門の大門宿本陣表門、数こそ少ないが往時の面影を偲ばせる名残の松など、非常に短い脇街道でありながらも、歴史の主人公が数多く行き交った重要路であったことを感じさせる。

宿場一覧

通過する都道府県

埼玉県/東京都

つながる街道

中山道